1962-05-04 第40回国会 参議院 議院運営委員会 第21号
すなわち、辻議員は、東京出発後、サイゴン、プノンペン、バンコックを経て、四月十四日、ラオスのヴィエンチャンに到着、ここで同地在住の知人で赤坂氏という人物と連絡、パテト・ラオ政権発行の通行手形「安導券」の入手に努めておりましたが、これがうまく参りませんので、ヴィエンチャンよりルアンプラパンへの道を、公道を避け、間道を行くことを決意、赤坂氏の世話で僧形となり、日本の高僧青木と称して、同地のクンタ寺院に手
すなわち、辻議員は、東京出発後、サイゴン、プノンペン、バンコックを経て、四月十四日、ラオスのヴィエンチャンに到着、ここで同地在住の知人で赤坂氏という人物と連絡、パテト・ラオ政権発行の通行手形「安導券」の入手に努めておりましたが、これがうまく参りませんので、ヴィエンチャンよりルアンプラパンへの道を、公道を避け、間道を行くことを決意、赤坂氏の世話で僧形となり、日本の高僧青木と称して、同地のクンタ寺院に手
以上でありますが、すでに過般来の当委員会の質疑によつてもおわかりだと思いますが、奄美群島復帰が次第に遅れて参つて、同地在住者の焦慮はもとより、国民といたしましても、その実現の日の一日も早きを期待しておる次第でありまして、先ほど政府の御答弁によりまして、大体二十五日には実現ができそうであるように伺つて、喜んでおる次第でございますが、ぜひともこの期日までには実現できますよう、さらに一層政府の努力をお願いしたい