1997-04-22 第140回国会 衆議院 環境委員会 第6号
○杉浦委員 私は、サラリーマン時代につくったうちが川越でございまして、所沢も飯能も、ゴルフで最近はよく行くんですが、よく存じておりますが、私の学生時代、昭和二十八年から三十二年までのころは、中央線も、高円寺過ぎて吉祥寺あたりに行きますと、一面武蔵野でしたね。雑木林がずっとあって、本当に、いわゆる武蔵野という感じでありました。
○杉浦委員 私は、サラリーマン時代につくったうちが川越でございまして、所沢も飯能も、ゴルフで最近はよく行くんですが、よく存じておりますが、私の学生時代、昭和二十八年から三十二年までのころは、中央線も、高円寺過ぎて吉祥寺あたりに行きますと、一面武蔵野でしたね。雑木林がずっとあって、本当に、いわゆる武蔵野という感じでありました。
○田中啓一君 それからもう一つ、また少し違った方面から申し上げますと、私の住まっている吉祥寺あたりというのは、戦前は私は非常に安かったと思う。ところが、三十年ごろから、みなりっぱな店にはなりましたが、そして使用人もたくさん置くようになり、みな四輪車を一台も二台も持って盛大にやっているようになりました。これは、一面は背後地の人口が非常に膨張した。
私はこの時分に阿佐ヶ谷へ開業いたしましたが、一応同地の同業者の実情、販売しておる価格を全部調査し、また近隣の高円寺、中野、荻窪、吉祥寺あたりまで調査して、大体においてこれくらいの値段で売つたら当然ではないかと思つて始めたのでありますが、よその店と同じ値段で出したのでは、古い店の方が信用がありますから、新しい店には客が来ない。
芝の眞中では「かぶ」一把が十円、十三円しておるのでありますが、一歩ここから出まして中央線の沿線にでも参りますと、吉祥寺あたりでこれが五円ぐらいで賣られております。殆んど三分の一の値段でございます。配給のお野菜が非常に鮮度が落ちておることはもう常にどちらでも申されておることでございますが、お値段におきましては闇値の四分の一であつても配給量が非常に多い。