2021-06-02 第204回国会 衆議院 厚生労働委員会 第24号
○吉川専門員 先生の御意向は、第三回国会、一九四八年十一月十日の衆議院本会議において、国家公務員法の一部を改正する法律案についての吉田首相による趣旨説明に引き続いて行われた、政府委員である浅井清臨時人事委員長による補足説明かと思います。 該当部分を読み上げさせていただきます。
○吉川専門員 先生の御意向は、第三回国会、一九四八年十一月十日の衆議院本会議において、国家公務員法の一部を改正する法律案についての吉田首相による趣旨説明に引き続いて行われた、政府委員である浅井清臨時人事委員長による補足説明かと思います。 該当部分を読み上げさせていただきます。
これまで、この新たな日米の役割分担を定めていたのが一九七八年の第一次ガイドラインで、これは吉田首相が路線を引いた、軽武装の日本を防衛するための米軍の有事来援を保障するためのはしごとして冷戦終結まで機能し、そして、これから協定の拡大や特別協定で負担してきた思いやり予算ですけれども、額としてどこまで正当と考えられるのか、米軍の要求のまま上限なく負担させられるのではないかという懸念がこれまでも生じてきたわけです
○仁比聡平君 マッカーサー指示の超憲法的効力ということがこの問題について繰り返し言われているんですが、私は、果たしてそうなのかと、この閣議決定をいただいて改めて思うんですけれども、皆さん、三ページ目を御覧いただきますと、元々の請議された文書に、恐らく当時の吉田首相のものと思われる文章が書かれて、書き込みがございます。本件についての意見がある、次回閣議にて再考を云々と。
しかし、当時の吉田首相は、九条のもとで自衛権はないという立場をとられました。国会答弁にも残っております。私たちは、これは国民主権と独立を危うくするものという、憲法制定過程のあの時代の中で、こういう立場をとったのであります。
自衛のための戦争まで放棄するのはおかしいと当然の疑義を呈した当時の共産党の野坂参三氏に対し、吉田首相は明確に自衛権を否定いたしました。 中学生の頃に自分は、この憲法こそは苦い経験を生かした歴史的快挙と思いました。何と高邁で崇高な考え方だと誇りにも感じました。世界が日本の美しい覚悟に倣えば、戦争をこの世からなくすという人類の悲願が達成されるとも考えました。
ところが、一九六五年、法務省の入管局長が「在日韓国人の待遇問題について」という論文の中で、外国人に対しいかなる法律上の取扱いを与え、自国民に対するのといかに異なる処遇を行うかというような事項は、本来、我が国が自由に決定すべき事項であることは論をまたないなどの議論をされ、吉田首相がマッカーサー宛ての書簡の中で、在日朝鮮人はその半数は不法入国であり、日本経済の復興に全く貢献をしておらず、犯罪分子が大きな
それで、吉田内閣ではなくて、あれは吉田首相が、憲法制定過程において、憲法九条について質問されて示した解釈です。ですから、これは憲法制定におけるオリジナルな解釈だというふうに私は理解をしております。 以上です。
これは、それまでの吉田首相の見解とは全く異なる、そういうところで解釈が変えられました。これについても、国民の過半数は許容範囲内にあるという受けとめ方をして、これを認めたわけであります。そこから見れば、昨年七月一日の閣議決定、この憲法解釈の変更というものは、やはりそこには該当しないという考え方でございます。
去年の秋にも解説をさせていただき、そして二月の七日の質問でもお示しをしましたが、個別的自衛権は、最初は吉田首相は個別的自衛権すら否定しておられた中で、国際情勢が変わっていく中で、その後、佐藤首相、中曽根首相の答弁で徐々に個別的自衛権の対象とする事象が増えていき、必要最小限の個別的自衛権は行使できる、急迫性、必要性、相当性のこの三条件を満たせば行使できると、今こうなっているわけですよ。
この白洲次郎さんという方は、もう皆さん御存じのとおり、吉田首相の側近で、日本の通産省をつくった人でもございます。そして、当時占領下でマッカーサー元帥に日本人としてただ一人堂々と物を言ったということで、最近大変評価されています。 実は私の自宅のすぐ近くなんですが、この連休中も観光バスが随分来るようになりました。
その吉田首相は卒業式で、諸君は自衛隊在職中、決して国民から感謝されることも歓迎されることもなく自衛隊を去ることになるかもしれない。あるいは非難と誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労なことだと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎され、ちやほやされる事態とは、外国から攻撃されての国家存亡のときや災害派遣のときなど、国民が困窮し国家が混乱に直面するときだけである。
それに対して当時の吉田首相兼外務大臣は、野党の口ぶりのごとし、経世家としての見識に欠ける、無用の議論一顧の値だになし、再検討を要す、次官にぼんと投げつけたわけです。 その当時は、朝鮮戦争が行われていた。アメリカと組んだらまた巻き込まれるのではないか、世論はそう思っていたわけですね。
その間、吉田首相が、戦力なき軍隊、こういう言葉を使いまして物議を醸したわけであります。戦力なき軍隊というのは極めて矛盾に満ちた言葉であったのでありますが、そういう憲法九条との絡み、そして占領期にそうしたアメリカ内部の対立、そういう幾つかの矛盾の中で防衛庁・自衛隊というものが発足した、こういう経緯を無視できないのであります。
特に、私は、北方領土問題の歴史に関する共同作成資料集の中で、北方領土の問題の原点というものは何かということをちょっとよく読んでみますと、実はサンフランシスコ講和会議における吉田首相の演説にあるのではないかなと思っています。 これは、正確を期するために、その演説の内容について読ませていただきます。
それで、吉田首相に当時すぐ報告したら、激怒されたらしい。ばか者、これじゃディフェンスコミットメントがなくなるじゃないかと。次の日に、条約課長がフィンという書記官あてに、メイ・ビー・ユーティライズドではなくて、本土がやられたときにはシャル・ビー・ユーティライズド、必ずユーティライズドされるということですねとノートを出したけれども、アメリカ側は完全に黙視です。
在任期間一位の佐藤首相は二千七百九十八日、二位の吉田首相が二千六百十六日、三位の中曽根首相は一千八百六日、したがって、あと二か月で総理は歴代三位となります。中曽根さんを抜き、吉田、佐藤という歴史上の宰相と肩を並べることになる。歴史好きの総理御自身は定めしお喜びと思いますが、重要なのは五年間の小泉政治が国民にとってどうであったかであります。
それと関連して、アメリカの兵隊は今も沖縄がまるで占領下に置かれているかのような印象を持っているという趣旨のことも論文にお書きになっておられますが、実は、私なんかが非常に懸念していることは、一九五一年の平和条約を締結したときに時の吉田首相が、沖縄は将来は日本に返してほしいと思うけれども、今は米軍が基地として使いたいからバミューダ方式で貸すということを条件に書けということを当時の西村条約局長に指示したという
かつて吉田首相が「回想十年」で、マッカーサー元帥から日本国憲法について日本国民は一両年に再検討をし、改正することも可能であるとの極東委員会の決定を受けた書簡を受け取ったことを明らかにしています。この文書は衆参両院議長に報告されていたこと、学会方面からは再改正試案が法律雑誌に発表されたが一般の空気は盛り上がらなかったことなどが記述されています。
もう時間が参りましたからやめておきますけれども、この田中宏さんのお書きになった「在日外国人」という本の七十二ページに、吉田首相の当時の手紙が出ております。マッカーサー元帥に対する、今の時代から見れば民族的差別ととられるような内容の手紙であります。こういったものが背景にあってこの民事局長通達というものは出された、そのことを私は改めて申し上げて、時間が参りましたので、質問を終了させていただきます。
永世中立に疑義ありと吉田首相は参議院において言明をいたしました。 その後衆議院予算委員会においても、重ねてこのことを確言したのであります。しかるに、その疑義の内容並びにみずからの所信については一向誠意ある解明をいたさないのであります。 われわれは新憲法を制定して、われらの安全と生存を諸國民の公正と信義に託し、戦争放棄を嚴粛に宣言したのであります。