2014-02-13 第186回国会 衆議院 予算委員会 第7号
吉田政権は、批准国会、独立国会と言われて、確かにそうだなと思います。岸政権のときは安保国会と言われています。これはみんなすぐわかることだと思います。 最近の十年で通称が定着しているものがあったかなと思ったら、小泉さんの郵政国会、これは強烈でした。だから、これはみんな頭に残っている。それから、それほどじゃないかもしれませんが、暫定税率でガソリン国会というのがありました。
吉田政権は、批准国会、独立国会と言われて、確かにそうだなと思います。岸政権のときは安保国会と言われています。これはみんなすぐわかることだと思います。 最近の十年で通称が定着しているものがあったかなと思ったら、小泉さんの郵政国会、これは強烈でした。だから、これはみんな頭に残っている。それから、それほどじゃないかもしれませんが、暫定税率でガソリン国会というのがありました。
そして、当時はまだ自衛隊がこのような精強な組織ではなかったわけでありますから、まあいてくださいということを頼んで、吉田政権時代に旧安保条約ができたわけでありますが、これは極めて不平等なものでありました。一条から五条しかない旧安保条約には、日本に対する防衛義務はアメリカは負っていない、地位協定もない。
残念ながら、吉田政権、麻生さんのおじいさんですが、対日講和条約で千島及び南樺太を放棄いたしました。当時の終戦の条件、ソ連参戦等があったと言われておりますが、本来の国際社会のあり方からいって、千島は放棄してはならなかったと私は考えております。 そこで、交渉するに当たって、これはもう放棄してしまったんだから、交渉の場ではなかなか言えないということはわかります。
大改革をやったときは、一時的に支持率が下がることは過去にもしばしばあることであります一吉田政権の最低支持率は、昭和二十七年九月二〇%でありました。岸内閣で国会が大混乱の中に安保条約の批准をしたときは、昭和三十五年でありますが、その支持率は一二%でありました。佐藤内閣のときに黒い霧解散が行われましたが、そのときの支持率は二〇%ちょっとでありました。
だれもが、初めての事態だというので思案投げ首のとき、ピタリとなにが問題なのかを啓示する能力は、吉田政権以来たえず政権の中枢にいて、修羅場をくぐり抜けてきた経験と政治的知恵の蓄積であるとしか、いいようがない。 こういう記述がございます。これはまさに鈴木内閣がどうして誕生したのかと、「やはりといういい方はおかしいかも知れないが、田中角栄氏だった」ということで、こういうことが書かれております。
においてダレス圧力のもとに体勢が崩れてきておりまするが、ちょうどフェビアンソサエティーのメンバーであった正金のロンドン支店長をやった加納さんが、吉田さんとは親戚でもあるが教養と見識において吉田さんよりは私は上だと見ておりました人で、吉田さんには非常に天才的なひらめきがあるが、基礎的な学問体系というものがなかったところに吉田さんの失敗と、並びに現実政治家としての取り巻きに支配されなければならない、吉田政権
どのような利があり、どのような害があるかということでありますが、やはり当時の吉田政権がとった単独講和、平和条約の締結というものが、今日の日本の繁栄と安定の糸口をつくったと私は判断いたしております。しかしながらまた、単独講和をやったためにいまなお戦後の平和処理の問題が残っておると、これはやむを得ず出てきたものだと、こう思うわけでございます。
そのようなことは仮定の問題だからという一つのフォーマットが皆さんの中で用意されているかもしれないが、そのような吉田政権時代からの遁辞でもって逃げおおせるものではないでしょう。そうした意味で吉國長官には、もしもそのような事態になった場合には、これは政府として責任のとりようもないぐらい、私は重大になると思うんです。
御存じのように、吉田政権下の昭和二十三年に制定されました、つまり現行の政治資金規正法は、久しい間、ざる法の典型とされてまいりました。政党、協会その他の団体等の政治活動の公明を図り、選挙の公正を確保し、もって民主政治の健全な発達に寄与することを目的としたはずの現行の政治資金規正法が、その本来的な欠陥と弱さのゆえに、かえって政治腐敗の一つの誘因となったことは否定ができません。
御注意いただきたいことは、まだ吉田政権の時期だったということでございます。吉田政権が倒れましたのが一九五四年の十二月でございますので、それ以前に相手が、あれほど北京政府がののしりました吉田茂氏であったにもかかわらず、その吉田茂氏の主宰する日本政府に対して和解のシグナルを送り出したということでございます。そしてそれから急速に日中国交正常化への動きが高まってまいります。
吉田政権から岸、池田、そして佐藤政権と、変わることなく引き継がれてきたものであると私は思うのであります。この三つの基本方針について、それが間違ったものであるというふうに国民の大多数は思っておりません。しかし、ここでとくと考えねばならぬと思われますことは、総理も外務大臣もその演説でしばしば申されましたように、国際政治情勢は目まぐるしいばかりの変転をいたしておるのであります。
以上のごとく、河野農政の三十一年度版は、予算案、法律案の審議を通じて、さらにその全容を明らかにするでありましょうが、吉田政権以来まかれている種子を、いやおうなしに刈り取らざるを得ないとき、しかも、河野農林大臣は、さらにこれに拍車をかけて、わが国農政の一大転換を見つつあるのであります。
過般の選挙に巻き起りました鳩山ブームは、吉田政権があまりに長過ぎた反動と非劇の政治家に寄する日本人のいわゆる判官びいきの結果に過ぎません。わずか二カ月余りにして早くもブームは雲散霧消いたしました。過日の地方選挙においては、民主党は自由党の獲得議員数においてはるかに下に立っておるのであります。かような現状において解散、総選挙をいたしまして果して政局安定の自信をお持ちになっておるかどうか。
民主党結党の際、新指導者、新組織と叫ばれ、清新ということが強調され、鳩山首相を初め民主党の幹部は、吉田政権の分担者ではなかったというだけであって、政界では吉田政権の分担者よりも古い人が多いのみならず、鳩山内閣には吉田内閣の閣僚であった人すらおられるのであります。清新ではございません。(拍手)われわれはせめて、組織だけでも新しいものであってほしいと切望するのであります。
そうして吉田政権にあきたらずして結成されました新党である日本民主党も、当然にわれわれの不信任案に同調するであろうということはもはや常識であつて、既定の事実であろうかと私は想像をいたしておる。そういうことになれば、この不信任案は決定的に成立を遂げるということだけは言うまでもない事柄でございます。
しかしながら、それにもかかわらず、吉田政権に対する国民的憶激と怒りは、凝り固まりまして、遂に緒方さんの当初構想いたしました新党とは違つた形におけるいわゆる鳩山新党が、ここに結成されるに至つたわけであります。
その理由とするところは、先ほど申し上げましたように汚職疑獄の事件が、政界を吹きまくる旋風のように荒れまわつておるとき、あたかも提唱された新党、従つてこの新党の提唱は、表面には非常に美しい理想を掲げたものではありますが、一皮はいでみるというと、それは汚職疑獄に行詰つた吉田政権の命を、いかにして持続するかというところに動機があつたのではないかという国定的疑惑が非常にあつたということも、まぎれもない事実であります
但し、いつまで続くかわからない吉田内閣に対して、将来のことをお尋ねをいたすのもどうかと思いますし、お答えになる方もお答えがしにくいと思いますので、(拍手)主として過去における長期の吉田政権の下に行われて来ておりますところの、戦争のために被害を受けた国民の中でも最も大きな犠牲者というべき戦没者遺族が受けて来た諸対策について、政府の所見を質したいと思います。
利権目当のこうしたものに対して、政府並びに東京都が乗つかつて行くという考え方がまあ現在の……て悪口を言つて気にさわつたらごめんなさい、吉田政権の、自由党内閣の姿なんです。私はこれは都民の生活に何ら関係もないもので、電車を降りて歩いて十五分で都合がいい。曾つて読売新聞が多摩川園を開設した、これは全部自費でやつております。自分の費用で自分で経営しておる。
この場合に、吉田政権を打倒して民主的政権を樹立するという場合には、吉田政府は民主的政府じやないのだということを前提にしなければ(「反対するものは、じや何だ」と呼ぶ者あり)民主政権樹立ということはおかしいですよ。ところが御承知のように民主主義というのは、これも世間では二つあります。同じ言葉を使いながら内容の違つた、はつきり言えば世界観の違つた陣営で同じ民主主義という言葉を使つているわけです。
一つ例を挙げますと、只今民主政権の樹立云々、日教組の運動としてこれは今の吉田政権は憲法的に民主的に成立したものである、それを打倒して民主政権云々ということは、今の憲法でできた政権以外云々ということを言われておる。繰返して民主政権と言われしたが、あの日教組の運動方針にある民主政権ということは、今の憲法下において民主主義を守る民主的な政党を樹立しよう、こういうわけで飽くまでもこれは憲法の枠内である。
民主主義、平和主義破壊の反動吉田政権、国家の基本法たる憲法を破壊するところの吉田総理並びに吉田内閣というものは、国民の名において断固弾劾しなければなりません。(拍手)曾つて日本を敗戦に導き国民を塗炭の苦しみに投げ込んだ戦争指導者並びにこれに連なる一連の方々は、再び過ちを犯そうといたしておるのでございます。これが反対の第一の点であります。
偽りなく、これこそは吉田政権の悪政の所産であり、人心すでに吉田内閣を去つているということを物語つているのであります。五月十日、毎日新聞によれば、犯人葛原法生は、犯行の動機について、次のような手記を発表いたしております。よく吉田総理はお聞き願います。「二年前から今日の内閣に疑問を持つていた。果してこんな政治が正しいのか考えさせられることが多い。