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20件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2019-02-27 第198回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 1号

日本は、戦後、経済重視、軽武装、そして日米安保という、いわゆる吉田ドクトリンを国家戦略として、目覚ましい経済発展を遂げてまいりましたし、アメリカの有名な社会学者でありますエズラ・ボーゲル氏も、その著書「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の中で、この経済成長を高く評価をしているところではあります。  

中曽根康隆

2015-08-04 第189回国会 参議院 我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会 7号

吉田茂という総理が吉田ドクトリン、吉田外交という基本を定め、日米安保の中で日本は平和を維持しながら、そして経済で世界に貢献していくと、こういう歩みを一言で言えば吉田ドクトリンと言うんだろうと思いますが、私は今、五十四か国を回った安倍総理に見て取れるのは、安倍ドクトリンというものを目指しているのかなとも私は取れるんです。

荒井広幸

2015-03-26 第189回国会 参議院 予算委員会公聴会 1号

ある意味では、吉田ドクトリンに象徴される戦後の日本環境適応型の対外政策は国際環境への最適化に最も適したビジネスモデルであったと言ってもよいかと思います。  しかし、これらの変化を考えると、日本は、これまで、従来の環境適応型外交からの脱却が必要ではないかというふうに思われます。  よく、経営学の組織論において、適応は適応能力を締め出すということが言われます。

秋山信将

2015-03-26 第189回国会 参議院 予算委員会公聴会 1号

申し上げましたとおり、日本のモデルというのは、ある意味では、その吉田ドクトリンの場合には、安全保障においてはアメリカへの依存をしながら、そのアメリカの提供する公共財である市場において、それをうまく活用しながら経済復興を成し遂げてきたと。

秋山信将

2013-04-15 第183回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 2号

冷戦期において、国力の全てを第二次世界大戦後の経済復興に当てている、国防は米国に担わせるといういわゆる吉田ドクトリンという基本的な考え方をベースに、日本の外交戦略というものが築き上げられてきたんだろうというふうに考えています。こういった意味で、米国にバンドワゴンをし、そして安全保障よりも経済に重きを置いた外交戦略というものをとってきたというのが今までの日本だったと思います。  

椎名毅

2010-10-27 第176回国会 衆議院 外務委員会 2号

そして、二つ目には、防衛力でありますけれども、戦後六十五年たちましたけれども、吉田ドクトリンの考え方は基本的に変わっていない。つまりは、軽軍備、そして経済重視という方向性は変わってなくて、今の日本を取り巻く安全保障環境に日本独自で対処できるような状況ではありません。  

前原誠司

2010-05-27 第174回国会 参議院 内閣委員会 7号

戦後復興の場合は早くあのアメリカのドラマのような生活になりたいなということと、もう一つは、吉田ドクトリンという安全保障をきちっとやって、商人国家だというようなことがきちっとあって、そのことに対しては余り当時の世相的には論争がなかったであろうと。

林芳正

2009-02-26 第171回国会 衆議院 予算委員会 21号

吉田ドクトリン、つまりは軽武装、経済中心をやられた吉田元総理が晩年に書かれたものであります。  「再軍備の問題については、私の内閣在職中一度も考えたことがない」。中略します。第二パラグラフ、「しかし、それは私の内閣在職時代のことであった。その後の事態にかんがみるに連れて、私は日本防衛の現状に対して、多くの疑問を抱くようになった。」また少し飛ばします。

前原誠司

2006-02-15 第164回国会 参議院 国際問題に関する調査会 2号

まあ吉田ドクトリンなどと呼ばれますけれども、軍事支出をアメリカに大きく頼りながら軽武装で日本の安全を保つやり方で、アメリカから見れば、これはアメリカの影響力の外では日本が単独で行動できないという非常に有利な条件をアメリカに提供するものでした。  ここで日本が単独核武装に踏み切るということは、何よりも日米関係をめちゃくちゃにしてしまいます。

藤原帰一

2004-03-17 第159回国会 参議院 憲法調査会 4号

今回だけじゃなくて、ほとんど各十五年ごとに結構大きく変わってきたんですけれども、日本のいろいろなところでは吉田ドクトリン万歳とか、いろんなのんきな話が多いんですが、ちゃんと変わってきていると、物すごい勢いで変わってきている。

猪口孝

2003-01-23 第156回国会 衆議院 予算委員会 3号

私は、戦後、いわゆる吉田ドクトリンに基づいて軽武装・経済国家を目指したということは、正しい選択だったと思います。折しも、まさに日本人の勤勉性、あるいはまた教育水準の高さ、あるいは集団的な言ってみれば頑張り、そういうことが大量生産あるいは大量消費の経済の流れと合致いたしまして、高度成長をなし遂げて経済大国をつくり上げたと思っております。

額賀福志郎

2002-06-06 第154回国会 衆議院 憲法調査会国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会 4号

岸さんは六〇年安保で何か悪の権化みたいに言われているけれども、とんでもないことで、私は、ある意味では吉田ドクトリンよりも岸ドクトリンの方がすばらしいと思うのでございます。独立国で、国内の騒乱を外国の軍隊に抑えてもらわなければいけないような国は何とかしなきゃいかぬというのが岸さんの発想でございましょう。  

田久保忠衛

2002-06-06 第154回国会 衆議院 憲法調査会国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会 4号

日本でございますけれども、ここのところは私が特に研究したわけでございますけれども、一九八五年、今から十七年前に、青山学院大学教授、前の東京工大の教授永井陽之助さんが「輝ける吉田ドクトリン」という論文を文芸春秋に書かれ、これを単行本にされた。  これは、私は吉田さんがちょっとかわいそうだと思うんですが、こんな言葉がひとり歩きしちゃったのでございます。

田久保忠衛

1997-05-01 第140回国会 参議院 決算委員会 2号

それはどういうことかと申し上げますと、私は総理を政治家として非常に尊敬を申し上げているわけですが、吉田ドクトリンというのが昔ありました。そして中曽根康弘という大政治家がおりました。これはいわゆる保守政治家でございまして、日米安全保障を基軸として日本の国を的確な方向性に持っていこうというすばらしい指導者であったと思います。

小川勝也

1995-02-07 第132回国会 衆議院 外務委員会 2号

ところがどうも、教えていただきたいのですが、吉田ドクトリンというのがある。外交方針として、まさに吉田元総理は骨身を削って日本の将来というのを考えた。僕は一九五一年生まれですから、一歳のとき、一九五二年、サンフランシスコ講和条約、まあ多数派講和条約、その年に日米安保体制というのがつくられているわけですね。日本の独立とともに、日本のあり方、対外政策というのはある意味で決定された。

東祥三

1995-02-07 第132回国会 衆議院 外務委員会 2号

○河野国務大臣 先ほど申し上げましたように、吉田ドクトリンの中にも大きく変わった部分もある。つまり、経済の部分は大きく変わった部分がある。しかし、日米間の協調という意味では、我々はやはり日米関係というものを重視しようという態度は変わっていないというふうに考えていいと思います。もちろん、アジアを見てみますと、日米二国間だけでアジア全体のことを考えるというわけにはいかない部分もあると思います。

河野洋平

1993-05-14 第126回国会 衆議院 政治改革に関する調査特別委員会 17号

今般宮澤総理がASEANに、ニュージーランド、オーストラリアの前に行きまして、俗に言う宮澤ドクトリンを発表いたしましたのも、戦後の中で、吉田ドクトリンあるいはまたその後の福田ドクトリンに比べまして、特にアジアに対しての国際的貢献を果たさなきゃならぬ、こういう意味からも私どもはその責任を果たしていかなきゃならぬ。  

小渕恵三

1990-10-25 第119回国会 衆議院 国際連合平和協力に関する特別委員会 3号

これはいわゆる吉田ドクトリンという考え方であります。  その結果、我が国の戦後四十五年の歩みというものは特殊な歩みであったと思います。しかし、それは同時に成功した歩みであったと思います。その結果として、我が国は今世界の中で最も繁栄した国としての立場を確立しているわけであります。

浜田卓二郎

1985-06-05 第102回国会 参議院 外交・総合安全保障に関する調査特別委員会外交問題小委員会 4号

御指摘のように、平和外交ということが日本の戦後外交の一つの大きな特徴だと思いますが、日本の戦後の平和外交の特徴はある意味では吉田ドクトリンに従って、つまりアメリカに守ってもらうということで、自分自身はなるべく軍事力を持たないという形で、その意味では日米安保というものを通じてアメリカのブロックの中に入る、そしてアメリカに基地を貸与するということによって同時に守ってもらう。

武者小路公秀

1985-02-21 第102回国会 衆議院 予算委員会 15号

そういう意味で、いわゆる吉田ドクトリンというものが当初占領下ダレスと会ったときの話で終わりまで一貫していたというと、それはそうじゃない、歴史的事実に反する、私はそう思います。したがって、吉田さんが今生きておられれば、私のやっていることをよくやっていると言って褒めてくれるだろう、そう私は思っておるのであります。

中曽根康弘

1985-02-21 第102回国会 衆議院 予算委員会 15号

実はよく昔から言われることですが、吉田ドクトリンという話がございまして、吉田ドクトリンというのはなるべく軽武装で経済的繁栄だけを追求していく、これが日本が一番得をする道であるし、この路線は余り変更すべきではないというようなことが世上よく言われております。  そこで、実は私発見をいたしましたのですが、昭和三十八年に吉田茂さんが本を書いておられます。

椎名素夫

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