1977-10-25 第82回国会 参議院 運輸委員会 第2号
なお、バングラデシュの方では、一切日本の政府関係を犯人との折衝に当てることをかたく拒みまして、日本の政府が、自分たちが相談をして犯人と折衝をしているということがわかれば、犯人が興奮をしていかなる事態が起きるかわからぬ、こういうわけで現地から直ちにかけつけました吉岡大使等も一切出さないで、陰でバングラデシュにいろいろお願いをしながら犯人と交渉をするという状態はテレビニュースで御存じのとおりでございます
なお、バングラデシュの方では、一切日本の政府関係を犯人との折衝に当てることをかたく拒みまして、日本の政府が、自分たちが相談をして犯人と折衝をしているということがわかれば、犯人が興奮をしていかなる事態が起きるかわからぬ、こういうわけで現地から直ちにかけつけました吉岡大使等も一切出さないで、陰でバングラデシュにいろいろお願いをしながら犯人と交渉をするという状態はテレビニュースで御存じのとおりでございます
○説明員(賀陽治憲君) その段階におきまして、先生の御指摘は、恐らく日本大使館がどの程度それに関与し得たかということでございますが、犯人側との交渉はマームド参謀長が主として当たってやったわけでございますが、吉岡大使以下のわが方の大使館員は、終始、マームド参謀長と同じところにおりまして、アドバイスをし、この交渉に参画をしておったわけでございます。
で、紹介状というものがこれは名刺かどうかはしりませんけれども、これは外務大臣名――岸外務大臣名で、当時ベトナムにあった小長谷大使、カンボジア吉岡大使、それからタイの渋沢、インドネシアの倭島、イランの山田各大使あてに文書が出されておる。移住会社の大志摩社長が貴地訪問するについては、特段の御配慮と使命達成の援助を頼むという文書が出されておるということですから、これは私信の紹介状ではありません。
その後昭和三十二年六月に至り、カンボジア王国政府は、農業牧畜の開発についてわが国の援助を受けたい旨の希望を明らかにし、また同年十一月中旬には、岸内閣総理大臣が第二次東南アジア訪問に当ってカンボジアを訪問し、プノンペンで同国政府首脳と会談いたしましたが、その結果経済技術協力協定の締結について原則的に合意に達しましたので、右に基いて引き続き現地の吉岡大使を通じ、先方政府と交渉を重ねて参りましたところ、このほど
その後、昭和三十三年六月に至、り、カンボディア王国政府は、農業牧畜の開発についてわが国の援助を受けたい旨の希望を明らかにし、また、同年十一月中旬には、岸内閣総理大臣が第二次東南アジア訪問に至ってカンボディアを訪問し、プノンペンで同国政府首脳と会談いたしましたが、その結果、経済技術協力協定の締結について原則的に合意に達しましたので、右に基いて引き続き現地の吉岡大使を通じ、先方政府と交渉を重ねて参りましたところ
それから国籍の問題につきましては、五カ年間滞在の後に向うの言葉によって試験した後に、希望者は帰化することができるかもしれないということ、それから男女の比率につきましては、当時は女子二十人に対して男は八十人という割合でございましたが、それもわれわれが帰りましてから、吉岡大使の折衝によりまして十人の男に対して六人の女、こういう比率になったのであります。話し合いの大きな点は大体そのようであります。
これは今ここにおられる山本君の話によりますと、吉岡大使という人は非常に正直な人だそうであります。私が長年異民族との接触によって得た一つの感じは、絶対に正直な人間じゃないと信用しないのであります。従って今後この大事なカンボジアとの交渉をやるに当っては、絶対正面であるということこそ私は根本であると思う。
その約束に塞ぎまして私ら三名が向うに参りまして、現地の吉岡大使を顧問として話し合いをしたのでありますが、大きな筋は、まずカンボジア側のねらいは、日本に対して要求したいことは経済開発であり、もう一つは人種といいますか、民族の改良といいますか、混淆といいますか、そういったものに大きなねらいがあることを知ったのであります。
〔拍手〕 カンボディア王国は、昭和二十九年十一月二十七日、在プノンペン吉岡大使を通じて、サンフランシスコ条約第十四条に基きまして、同国の対日賠償請求権を放棄する旨の通告に接しました。(拍手)また、最近、さらに、サンフランシスコ条約の第十六条に基きまして、中立国に存する戦争損害補償金のカンボディア王国の取得分を日本赤十字社に寄付する旨の表明を得たのでございます。