1963-06-25 第43回国会 参議院 文教委員会 第27号
○参考人(家永三郎君) ただいまお尋ねのありましたのは、昭和三十三年度の教科書検定の際のことでございまして、このときも、私の原稿は当初不合格となりましたが、この年から初めて、不合格理由書を文書で文部省から申請者に交付されることになりました。そのときの不合格理由帯に、次のようなことが書いてございます。 第一に、この教科書では「事実の取捨選択に妥当を欠いているところが少なくない。」
○参考人(家永三郎君) ただいまお尋ねのありましたのは、昭和三十三年度の教科書検定の際のことでございまして、このときも、私の原稿は当初不合格となりましたが、この年から初めて、不合格理由書を文書で文部省から申請者に交付されることになりました。そのときの不合格理由帯に、次のようなことが書いてございます。 第一に、この教科書では「事実の取捨選択に妥当を欠いているところが少なくない。」
その当時は、検定は匿名の調査員五名によって検定をされまして、不合格の場合は不合格理由書、合格の場合は修正意見書というような形でA、B、C、D、Eという匿名のサインによる意見書を手渡されたわけであります。そして実際の場合には、当然調査員A氏はこの個所を削除したほうがよろしい、また調査員B氏は、この個所はさらに強調せよというような食い違った意見が当然出てきたわけでございます。
特に第一次検定で不合格になりましたものは、不合格理由書を一応申し上げます。それだけでございますが、会社の方から、どういう点が問題になったのかというような御指摘がありますれば、親切に御説明いたしますけれども、先般あげられたような事例については、私どもは具体的に指摘した事実はないことを申し上げたいと思います。
○説明員(太田和彦君) ただいまのお話は、まあ教科書の名前もおつしやったから申し上げますが、その実教出版の世界史、これは第一回目に落ちたときの不合格理由書というものは、その当時、こういう紙の半ページくらいの大きさのものに、大体一ページちょっとぐらいのもので、そういう文書を不合格理由書として会社に出しておったわけであります。
業者の方では、こんな不合格理由書なんというものは、まるで死亡診断書である、もらっても何にもならぬ、もっと口頭で詳しく言ってもらいたいと、こういう希望が実は出て参りまして、そういうようないきさつがあったのだと思いますが、今度は文書に書いて渡した上で、口頭でさらにその内容を具体的に説明する、ある程度まで説明する、そういうやり方をやったわけであります。この点は喜ばれておると思うのであります。
先ほど申しましたように、一たん不合格になった教科書は、これは説明をしなくてもいいわけなんでございます、不合格理由書が行っているわけですから。ですから、それも一つの方法でございますけれども、それはあまりに会社に対して不親切じゃないかと思うのです。審議会で不合格になったおもな点だけは、これはこちら側の考え方を申し上げた方がいいと思うのです。
○松永忠二君 私のお聞きしたいのは、そういうふうな行政措置としてそういうことをおやりになるということについては、今後いろいろ考えていくべきものがあると思うわけでありますが、現実にその説明書を、不合格理由書を交付するということをやるときもあればやらないときもあるということではなくて、やらなければできないというような方向に法規制をしていくとか、あるいは申請者の意見を聞くというようなお話ではあったけれども
そこで、昨日松永委員からのお話でございますが、実は不合格理由書については、従来はこの不合格について理由を文書では出していないのであります。口頭でしか出していない。ところが、私どもとしてはできるだけ親切に文書にした方がいい、また文書にしてくれという著者からの要望があったわけであります。何かやみへ葬られるということは困る、こういうことでございますから文書に出した。
○矢嶋三義君 ちょっと答弁中ですが、私が伺ったのは、昨日教科別のあの合否の統計表と、松永委員から不合格になったと新聞に報ぜられている一、二の教科書の会社側に渡した不合格理由書を出してほしいというのに対して、出せないという御答弁で本日まだ出ていないわけです。
そういう意味から、私は、具体的にこういうまとめられた不合格理由書では何ら具体的にわかりっこないのです。やはり、すでに新聞紙上でも一部発表されているような事項については、ここで発表できないという私は理由はないと思う。