2000-03-09 第147回国会 衆議院 憲法調査会 第4号
処が、小林氏は、あれは嘘でも何でも無い、当時は国連中心主義の思想があつて、そこに集つたグループは反ファシズムの闘争をした諸国と手を握り合つて行かうといふ気持ちだつた、その諸国の正義に信頼しようといふ意味に解すべきだと答へました。
処が、小林氏は、あれは嘘でも何でも無い、当時は国連中心主義の思想があつて、そこに集つたグループは反ファシズムの闘争をした諸国と手を握り合つて行かうといふ気持ちだつた、その諸国の正義に信頼しようといふ意味に解すべきだと答へました。
そして准看護婦につきましての優遇措置というのは、今後の運用上の話でございまして、昇格あるいは昇格に伴う調整の問題、そういった問題として今後関係当局とよく話し合つてまいりたいというふうに考えているところでございます。
ただ、どうもいろいろ先生方には先生方の主張があるようですから、ただいま文部大臣が話をしておるように、それぞれが十分話し合つて、そうして手荒なことをしないで解決する、こういうことのようですから、しばらく模様を見たいと思います。
といたしましては、四百万トンをこえる貯炭を保有いたしまして、石炭の不況の緩和の一部にも役立つように努力もいたして参ってきておりまするし、価格の合理化の面におきましても、いろいろ重油との価格差その他もございまするけれども、できるだけこれはある将来の形を見まして、漸進的にそれに近づいて引き下げをはかつていただく、こういうような趣旨から、価格協定等につきましても、他業界に先んじまして、石炭業界とはいろいろ話し合つて
そういうような点を十分経学者同士が話し合つて、そうして政府がそこに立って、社会性というものを考えながらやっていくということをやらないと、われわれが納めた税金というものは、みんな経営者に何十億か投資されて、僕らが納めた税金のために僕らが犠牲になるということは、政府としてもとるべき政策ではない。
米国におきましては、原子力委員会の許可を受けました民間の廃棄物処理業者というのが十社ございまして、その十社が、それぞれ分担をし合つて処理をしておるようであります。そのほか、国立研究所でありますオークリッジの試験所等でも、AECの条件に従って廃棄物の処理を行なっております。
これは衆議院の段階において野党、与党ともにこの問題は、通常国会になつたならば話し合つて改正もしようではないかという了解が立っておるのですが、土木災害についてはそういうような考え方はありませんか。現在たしか二十メートルだと思っておりますけれども、その点は農業災害に対してはこういう措置をとろうではないかということと、現在土木災害に対する話し合いというか、建設省の方からそういう話し合いがございませんか。
これも、そういう意味においてその人と話し合つてみたい、こう思っておりますが、たしか三百万円くらいのものを農林大臣としてあちらこちらに割り当てておるのだから、その意味において政党に醵金するのではなしに農林大臣個人にするのはおかしいじゃないかという意見すらその会議において出ておるという情報が私たちに入っております。そういう点から関連しても、この問題の疑義は非常に大きい、深いものがあると思います。
認可の具体的方針は佐藤蔵相とも話し合つて近日中にきめる考えである。」、こういうふうに出ているのです。そうすると、きめたと出ておるのですね。「基本方針をきめた。」
ただ、先ほど申し上げましたように、むこ三人に嫁八人という格好でございますから、それはいつまで待っておつても張り合つておつたんでは解決する方法がないので、今申し上げましたような方法も一つであろうし、あるいはその他の方法もいろいろあるだろうと思いますが、そういうことで十分論議を尽した方がいいんじゃないか、こういうふうに考えます。
そういう場合に、ただ、今まで話し合つて、お互いに了解づくでもって仕事をやつているに違いないけれども、そこに強い権限を与えて、もし問題が起きた場合にはどちらが何といいますか、片方は大臣の権限である、片方は知事の権限だということになると、いたずらに問題が起るのじゃないかと思うのです。運営にいい人があるなら別だけれども。
従って、これはあくまで両方共催の場合には話し合いできめて行くのが筋であり、従って、青年団の自主性を十分尊重するということは望ましいのでありますが、共催となりますと、やはり両者のおのおのの立場というものを十分お互いが尊重し合つて行事をする、これが望ましい問題だと思います。
従って県が、県とその青年団と共催という立場をとれば、やはり県が干渉するというようなことは別にいたしまして、県としてもやはり一つの考え方があると思いますので、それに従って両者が円満に話し合つて、この実行をするというのが正しい行き方だと私は考えております。
○安井委員 この問題は、私ども、今の御説明と新聞報道くらいしか内容はよくわかつておらぬわけでありますが、二重逮捕といいますか、三重にいろいろな問題が重なり合つておるような気がするわけであります。まず第一には、本来の二重逮捕という問題で、ほんとうの犯人じゃない者を犯人とした。そういったような二重逮捕の問題が一つ。
そこでさらに私はお尋ねいたしますが、まあだれの意見も大体一致しておるところは、地勢学的に見てユーラシア大陸を囲む東の周辺に連なる列島、日本列島なりあるいはフィリピンなり、こういうような島々は、いわば中共なりソ連と直接に向き合つておるわけです。
これに従って私どもは自衛力の漸増をはかつていくということでありまして、それは憲法の精神にも合つておることであり、憲法の許している範囲内におけるわれわれの当然やらなければならないことである、こう思っております。
私どもは、お互いに両国の政治体制やあるいは政治上の考え方というものについては、これを尊重し合つて、そうして、内政はお互いに不干渉だ、そうしてお互いの経済や文化等の交流を続けて友好関係を続けていくということは、私どもの心から念願しておるところであります。 なお、経済の問題についての御質問であります。
中共貿易につきましては、佐多さんのお説のごとく、政治組織、社会制度が両国異なっておりますので、お互いの立場において尊重し合つて、お互いに内政に関与しないという条件のもとに、親善友好を増進して、そして相互の相補うところの貿易協定は一日も早く醸成せられんことを希望する次第でございます。
そこで、現在でも、焼けまして地方債の手当てをしていないのが、まだおそらく五千万円前後が残つておりまして、私どもこの分につきまして、目下大蔵省と資金の増額の問題で話し合つておるところでございます。で、明年度は、別に火災を奨励するわけでもないんですが、二十億程度にふやしたい。
○吉村証人 天川氏とは長いつき合いで、非常に親しくつき合つておるものでございますから、飲む場合にも、勢いに乗じてそういう、二次会に行くということもあつたわけでございます。その支払いについて、おかしいという気は起しませんでした。
いろいろ国際情勢なり軍事技術についてなかなか傾聴に値するところがございましたから、ずつとつき合つておつたわけでございます。
○吉村証人 顧問団の軍人と合つておつたかどうか知りません、顧問団あたりとは通じているような情報は持つておられたようであります。
そこで私は、久保国君に、君、それは先ほど三十分前に僕があれほど注意したのに、なぜあけたのか、こう言つて尋ねましたところが、今の答弁にありましたように、自分は危険な状態と考えたから、そこであれをあけたのだ、こういう答弁でありましたので、私は、私の見る範囲では、お互いに認識の相違はあろうけれども、第二委員室の入口まで人は込み合つておりません、かりに込み合つておるとしても、あの廊下はえんえんと無限に近いほど
この際もみ合つて旅館の隣の弁護士さんのへいが二、三尺、半ば倒壊したというような事件も起つておるのであります。受講者は六時半ごろには全員会場に到着しまして、この日も予定通り講習を行なつておるのであります。会場前には百名くらいのピケがおり、なお八時半ごろには四百名くらいのピケとなつたのでありますが、この日は大した気勢も上らずに十一時半ごろ五台のバスに分乗して引き揚げております。
この間も、ナイフやフォークを作つておる新潟県の燕の方々が行っての話し合いで、今度は輸出量をある程度話し合つてきめて、その範囲なら関税引き上げということも起らずに済むだろう、こういうことを帰朝談に話しておったようであります。
話し合つてそれをきめたいとおっしゃる意味は、こういうことなのでしょうか、伺いたい。
ただし、この農林省の開発計画というものは尊重されなければならないから、十分それは話し合つて、最後に自分とすれば判を押したい、かような御意思に今の御答弁は承わるのであります。
最終段階に至るまでの態度は、あくまでも校長と話し合つて、しかも是は是とし、非は非として校長との話し合いを進められた。こういうことも私は新しい教育委員会の運営としては非常にとうといことだ。そういうことなくして、だた県教委の命令だからやれという押しつけでは、教育の民主化はできないし、職場の民主化ということもできない。
○松澤靖介君 それからなお聞きますが、大西証人は、私は今回の問題は、将来の問題には関係ないのだというようなことを申されておりますが、私は将来の問題が、ここに希望をもって解決される見通しがあったならば、将来のことも大いに話し合つて、そうしてやるべきじゃないかと思いますが、ただ単に一時しのぎの、事をごまかすような、かようなことであったならば、私はここにおいでになった、いわゆる証人としての意義がないかと考
明治時代に政党の発達は封建的官憲に反発したことから始まりまして、国会開設となり、次第に進歩いたしまして、国民生活安定を基調とする主義、政策の争いとなり、この主義、政策の争いのもとに団結し、対抗し合つて参つたのであります。大正八年原内閣の小選挙区制実施時代には、すでに政党として相当に成熟し、主義、政策の争いの形態は十分に整っていたと見なければなりません。
私は、今日われわれの出しました案は、まさにその国会の御決茂の御趣旨にも沿うた閉鎖機関に新しい息吹きを吹き返さしまして、日本の経済の再建に一役をになうという道を開くためにこそこういう改正をお願いしておると申し上げるのが、実際に合つておると思います。
その場合に、電話あるいは何か特殊な方法で話し合つて、朝鮮から二千万円送り、内地の三千万円を充てて、計五千万円で退職金を払うという正式な決定――厳密な意味の正式な重役会ということにならないかもしれないが、何らかの形でそういうものが行われたならば、あのときの混乱時代ということを想定して、大蔵省はその重役会の決定というものについての見方がある程度ゆるやかにこれを見るということも、あの当時のことからいえば考