2012-03-05 第180回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第1号
実は私も、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」を読んで感銘して、四十から剣道を始めて、今は剣道四段で、時々衆議院の剣道道場で口だけの剣道をしておりますけれども、この剣道の問題点は、その他の武道と違いまして、やはり防具が必要だというのがずっと長い間大きな問題でありました。この防具がどうしても高価になってしまう。
実は私も、司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」を読んで感銘して、四十から剣道を始めて、今は剣道四段で、時々衆議院の剣道道場で口だけの剣道をしておりますけれども、この剣道の問題点は、その他の武道と違いまして、やはり防具が必要だというのがずっと長い間大きな問題でありました。この防具がどうしても高価になってしまう。
最後に、野田総理には、司馬遼太郎「坂の上の雲」の中にある秋山真之の言葉、自分が一日怠けると、日本が一日遅れる、この言葉をお送りいたします。民主党政権が丸二年、全く稚拙な政権運営をしたために日本は何十年遅れたかというのは別といたしましても、国会が、我々国会議員が一日怠けると、この未曽有の国難、問題山積の我が日本の再生が一日、いや、半年、一年と遅れてしまうのです。
司馬遼太郎さんの言葉を借りれば、「坂の上の雲」を国民に提示しなければならない。 この二十年後、三十年後を見据えて、どのような国家の使命、国家国民目標を提示しようとしているのか。もし、松下政経塾出身の総理が事もあろうに明確な御答弁ができないとするならば、もはや松下政経塾そのもののレーゾンデートルが問われるばかりか、三十一年の松下政経塾の歴史を閉じるべきではないか。
松本大臣、司馬遼太郎先生が、坂本竜馬は維新をするために生まれてきたんだ、これは天の意だ、こう言ったんですね。私は、松本大臣もそうだと思うんですよ。天の意を受けて今大臣になったわけですから、自信を持って頑張っていただきたいと申し上げておきたいと思います。
司馬遼太郎の小説を読むまでもなく、ロシアも太平洋が欲しい、そして中国はもともと太平洋が欲しい。東南アジアも今必死で守っている。そんなときに今の日本が、まあ少しぐらいくれてやってもいいという態度でいいのか、まるで中国に国を売っているような態度と見られるようなパフォーマンスでいいのか。 海上保安庁を所掌する大臣として、内閣の中でやるべきこと、訴えるべきこと、たくさんあると思います。
現在、司馬遼太郎さんが、平野さんが御指摘のこの「翔ぶが如く」の後書きの部分で記載されておるように、政府というよりは官ではないかというこの指摘は、まあ雰囲気と気分としては出ているなと。そのとおりの部分がまだまだ我々のDNAか体質か知りませんが、考え方の筋にそういう部分、つまり、先ほど、はしなくも、平野さんも偉いと、当時は偉かったと、こうおっしゃったんでありますが、まさに偉い。
その辺のことを聞いているうちに、今回の国家公務員法等の一部の改正の法案を眺めていまして、「翔ぶが如く」という司馬遼太郎の小説が何度も頭に浮かびました。 仙谷大臣、「翔ぶが如く」というような小説、読まれたでしょうか。
○国務大臣(仙谷由人君) この間、国の形という司馬遼太郎さんのお言葉であったわけでありますが、憲法調査会含めて、やっぱり時代に対応できる統治構造といいましょうか、統治機構をつくらなければならないという問題意識は、それぞれ中身が少々違うかも分かりませんが、国会議員の方々はほとんどの方がお持ちなのではないかと思います。 今朝も申し上げましたけれども、中央政府の統治の在り方を変えると。
これは司馬遼太郎じゃないですけれども、ロシアはどうしてもやはりこっちに来たい。もともと地政学的な爆発力があるわけですから、今でもあると思いますので、そういう意味で、日本とロシアとの交流。それが、文物であり、そしてロシア人が、北海道だけじゃなくて、もっとたくさんのところにお越しになる。
右の写真が昭和二十六年の写真でございますが、この状態を、昭和五十年ころ、作家の司馬遼太郎さんがうちの亀田郷土地改良区においでになられて、この映画を見られたわけでございます。しばらく絶句して、このような言葉を述べられております。「街道をゆく」の中の「潟のみち」の中に書いてございます。
本当に重労働で、司馬遼太郎さんに御指摘されるまでもなく、本当にそういう身体を酷使して続けてこられた農業が、さまざまな改良工事の結果、収量を上げ、また人間の体にも負担少なく、そして願わくば後継の人を得てということが今一番課題になっておろうかと思います。
また、司馬遼太郎の「街道をゆく」で紹介された清流古座川と森林の緑が織りなす自然豊かな風景は、他に類を見ない景勝地が数多くあります。 昭和三十年の人口は一万百八名でしたが、平成二十一年には三千三百二十一名、三十年当時の三二・九%に減少しております。一世帯当たりの人口も四・五人から二・二人に減少している、こういった状態でございます。
私は少し認識が違いまして、昭和の前半は、司馬遼太郎さんの言をかりるわけではありませんが、近代国家をつくり上げた明治の人たちの思いを昭和の初期に全部台なしにしてしまった。
○菅国務大臣 先ほど市村さんから国の形という言葉が出ましたが、もちろんこの言葉は司馬遼太郎さんがよく使われる言葉で、私も、今我々が、場合によっては党派を超えて取り組まなければいけないのは、戦後六十数年、場合によったら明治から百四十数年たったこの国の形をもう一度根本から見直さなければならない。それがまさに本当の意味での改革ではないか。
司馬遼太郎さんはこの学校の機能を文明の配電盤というふうに表現をされていましたが、まさにそういった機能を持ってきたんだろうというふうに思います。地域の中心に学校があって、日本人は、国際的に見ても、特に自分たちの町の学校、自分たちの出た学校に関しての思い入れが強い国民だというふうに思います。おらが学校という意識かと思いますが、このことはもう日本の文化であり、大切にしていくべきことだと思います。
○衆議院議員(上川陽子君) 冒頭に岩城委員から、昨年の二月の福田総理の指名も含めまして、また二千五百年前の司馬遷の史記のということでお触れになりまして、私もこの問題に取り組むに当たっては、司馬遷ではございませんけれども、日本の尊敬すべき司馬遼太郎さんの触れられました、日露戦争を扱った「坂の上の雲」、このときの記述に当たって、資料がなかなかなくて大変御苦労なさったと。
つまり、司馬遼太郎先生ではないが、国の形をどうするかという大問題について、これはそれこそ与野党の垣根を越えて一つの姿をつくっていかなければなりませんし、また与党の方では基本法を制定していこうという動きとなっております。
これは司馬遼太郎さんがある本の中で指摘されていたと思いますが……(発言する者あり)ちょっとうるさいですよ。
司馬遼太郎さんがバブルのころ「土地と日本人」という本を発刊されて、その中で、土地というのは私有地であっても究極の共有財産なんだという発想で考えなくちゃいかぬということを大分強調されておられましたが、この土壌汚染についても、自分の土地だから勝手にしていいという風潮はあると私は思うんです。
司馬遼太郎さんが、日本が世界に誇るものは何なんだと、一言で言ったら日本語だということをおっしゃっておりましたけれども、あえてそのことを、私は与党の質問者ですから、私が申し上げるのは私の感性で申し上げておるわけでございまして、この際申し上げておきたいと思うところでございます。今、意見を申し上げさせていただきました。
私自身も司馬遼太郎先生の「坂の上の雲」が大好きで何回も読んでおりますが、今渡辺大臣がおっしゃったように、ある意味で、我々の先達が明治の国家をつくり上げた、それも国家に対する危機感を旺盛に持った人たちが、官僚中心にそれこそ厳しい国際社会の中で生き抜くための国家をつくり上げてきた。
私、年末に、司馬遼太郎の代表作である「坂の上の雲」という小説を読みました。その中に描かれている明治の群像というのは、近代国家を目指して頑張っていく日本人の気概というものが生き生きと描かれているんですね。司馬遼太郎の作品というのは、生涯を通じて、日本人とは何か、日本の国はどういう国なのか、そのことをテーマにしたというふうに言われております。
それは何かというと、世界の中で少数の人たちが話している言語について、例えば蒙古語、モンゴル語とか、司馬遼太郎さんはここの卒業生ですよね、そういう語学の分野を網羅した学校なんですよ。これは、大阪大学と御一緒になられた後、大阪大学もそれを十分使いながら、国際化、アジアの中の日本というものが今言われている中で、あるいは開発途上国との関係等で、やはり特色のある大学に育ってもらいたい。