2013-05-22 第183回国会 参議院 政府開発援助等に関する特別委員会 第4号
そして、そこを卒業した人が、私行ったところはSona Koyoという、日本の光洋の子会社みたいなものですけど、そこへ行ったんですが、それで非常に実績を上げておられるというので、司馬先生のこの実績というのは非常に地に着いて広がっていっておるという実感を受けました。
そして、そこを卒業した人が、私行ったところはSona Koyoという、日本の光洋の子会社みたいなものですけど、そこへ行ったんですが、それで非常に実績を上げておられるというので、司馬先生のこの実績というのは非常に地に着いて広がっていっておるという実感を受けました。
私は三十数年前からインドに特別興味あってというわけじゃないけれども訪れていますが、いろいろなまた、JICAにも訪問したり、いろいろな企業なんかも行ったりしていますけれども、今回特に感銘を受けましたのは、インド工業連盟のグルガオンに行ってまいりました折、チーフアドバイザーの司馬先生、筑波大学の名誉教授の話の中で、こんな話をしておりました。
インドの司馬先生とお話しいただいたということですけど、この司馬先生、大変インドでは有名な方でございまして、誠に、何というんでしょうか、日本の侍魂がここに表れているということを、インド人に常々感銘を与えている先生でいらっしゃいます。
これは司馬先生のものですけれども、小説のように生き生きとしていませんし、ちょっと違うという感じがあります。戦場の場面とか不適切な場面は載せるべきでないと思いますが、しかし、子供たちに、おれもこうなりたいというような気持ちにさせる、そういった部分というのはたくさんありますから、何で載らないのかと。例えば、純文学と大衆文学みたいなので分けて、純文学は載っていますよ、いろいろ。
私どもも、我々の先輩が、司馬さんが産経新聞に連載された当時から、司馬さんに、ぜひ大河ドラマで放送したいという申し入れをし、その後も何回も先生にお会いして許可を得ようとしましたけれども、司馬先生は、これは今の日本の映像技術では自分の目指す作品はできない、そういう面でこれは映像化させないんだということで、私どもも、ほかのテレビ会社も、映画会社も、どこも許可されなかったという長い歴史があります。
そういう中で、この明治、大正、昭和という、明治維新以来の激動の時代をドラマ化する、いろいろ題材があるのですけれども、例えば司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」なんかもやりたいと思ったのですけれども、これは司馬先生が御存命のときにお願いしましたけれども、許可が出ませんでした。
早くも亡くなられてしまって残念なことでございますが、私も実は司馬先生の考え方には同感でございます。 十年ほど前、経企庁を預からせていただいたときにも、私も二回ないし三回にわたって、もちろん不動産業界に対する直接的な鉄槌もさることながら、その裏の背景にある銀行というものはなぜこんなにらんちきな、しかもわけのわからぬ、自分の銀行家であるべき使命を失って銀行屋に徹するようなやり方で土地あさりをすると。
亡くなられた司馬先生もこのメンバーの一人であり、行ってまで調べられた、いろんないわば歴史観を持った答申が私は出されると信じております。
これが司馬先生の絶筆、遺稿であります。こういう立派な御意見もあったということを御紹介して、私の質問を終わらせていただきます。 ありがとうございました。
特に司馬先生が言われたのは、これはもう非常に古い話でありますが、源頼朝が鎌倉に幕府をつくったということで日本の政治が武家政治の時代に画然と入ったということを説かれたわけであります。 多少冗長になりますけれども、第一回の調査会で、移転の意義という問題について皆さんどうお考えでございますかということを各委員の皆さんにお聞きいたしました。
なお、発足当初のメンバーでありました井上靖先生の御逝去に伴い、司馬先生に新たに御参加いただいた経緯がございます。 平成二年十二月十九日の第一回会合から合計九回の会合を開催いたしました。これまでは、司馬遼太郎先生、下河辺淳先生、村田敬次郎先生、堺屋太一先生、恒松制治先生、八十島義之助先生の各界の専門家の先生方の御意見をお聞きしてきたところであります。