2020-03-17 第201回国会 衆議院 農林水産委員会 第5号
司馬遼太郎によりますと、この言葉は、清の末期の政治家であり文人であった李鴻章が、瀬戸内海を汽船で神戸に向かいながら、内海の島々の耕作の状態を見て、驚嘆してつぶやいた言葉であるとされています。中国にも雲南などに棚田の地域がございますが、安徽省出身の李鴻章は、これほどの棚田は見たことがなかったのかもしれません。
司馬遼太郎によりますと、この言葉は、清の末期の政治家であり文人であった李鴻章が、瀬戸内海を汽船で神戸に向かいながら、内海の島々の耕作の状態を見て、驚嘆してつぶやいた言葉であるとされています。中国にも雲南などに棚田の地域がございますが、安徽省出身の李鴻章は、これほどの棚田は見たことがなかったのかもしれません。
一枚目は、朝日新聞社の奥山さんという編集委員の方が、司馬遼太郎賞というのを受賞されております。その本は、「秘密解除 ロッキード事件」、岩波書店で出た本なんですが、奥山さんが、アメリカで公開された公文書に基づいてロッキード事件を見直した著作なんですね。その奥山さんが授賞式で述べられたことを私が抜粋してきたものが一枚目なんです。
これは、どういうふうな形で、会計のあり方、財政のあり方を示すのかということも含めて、やはり制度をしっかりしていかなきゃいけないんじゃないかというのが私の考え方でありまして、会計というのは、もともと司馬遷の史記にある由緒ある言葉なんですね。
にもかかわらず、今の、御承知のとおり、受験では、いにしえの時代に非常に重点が置かれますために、この百年を必ずしも把握しないまま大人になり、司馬遼太郎等で勉強するということが必要になってしまうのが実態でございます。 国際法や歴史を知りませんと、もし、例えば尖閣、竹島、北方領土等について、立場の異なる方と議論をした際に論破されかねないという危険がございます。
大臣の出身地である高知、土佐出身の、先ほども出ましたが、明治維新の志士、坂本竜馬の言葉、これは司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」で出てきますが、人間、不人気では何もできませんな、いかに正義を行おうと、ことごとく悪意にとられ、ついにはみずから事を捨てざるを得なくなりますとあります。信頼が大事なんです。やはり信頼がある大臣が必要なんです。
○麻生国務大臣 もともと中国語だと思いますので、三国志とか司馬遷の史記とか、春秋、戦国策という本を読みますと、あの時代にそれぞれ宰相と言われる人たちと、丞相とか、いろいろな表現が中国語でもありますけれども、やはり、なまじの総理大臣じゃなくて、後世、しかとした歴史を残したような人が宰相ということになるので。
司馬遼太郎の「街道をゆく」というところに、まず、棚田の景観美について、こういう記述がございます。見上げる山々は、耕して天に至るという棚田である。棚は数十層もある。いわゆる千枚田である。この傾斜の風景は、声を上げたくなるほど美しかった。 そして、司馬遼太郎さんがもう一つ指摘しているのは、この棚田における日本人の高い精神性。
司馬遼太郎さんの絶筆、「街道をゆく 濃尾参州記」の最後の文書、「家康の本質」の書き出しですが、イラク戦争に参加したスペインやイギリスの悲劇は今紹介したとおりです。 しかるに、安倍総理から、担当大臣から、テロ対策の具体的な内容が示されたでしょうか。何もありません。逆に、テロのリスクはない、自衛隊のリスクも減ると言い張っています。これが智者の対応でしょうか。
司馬遼太郎さんの絶筆、「街道をゆく 濃尾参州記」、その書き出しは、智者は、その性、臆病と考えていい、その人の中の臆病が、敵の意図をそんたくさせ、情報を集めさせ、事態の本質を察しさせるかのようである、若い頃の家康は露骨に臆病だった、で始まります。 集団的自衛権を行使したら、日本はアメリカと一緒に日本を攻撃していない国を攻撃することになります。
ですから、司馬遼太郎さんが「沖縄・先島への道」という本の中で、軍隊は絶対に民間人の命を守らないということをはっきりと書いているわけです。軍隊は軍隊という組織を守る存在であって、非戦闘員の命を、一人一人の命を守る存在ではないということをはっきり書いているわけなんです。 アメリカの下院の軍事委員会のマクヘールという議員を沖縄に連れてきたんですが、その人が在沖米軍を全部撤退させたいと。
さっきも予算委員会でちょっと紹介申し上げたんですけれども、司馬遼太郎さんが何かの講演か何かで、今日の、講演料だか何か知りませんけれども、講演料の九割以上は税金として持っていかれます、でも、私はこの国は非常にいい国だと思いますというようなことを言っていたのをちょっと覚えております。 それから、この税率の下で高度経済成長もしている、後でちょっと法人税率の話もしますが、高度経済成長もやった。
司馬遼太郎さんが何かのときに、昔、私の今日の講演の料金は八割九割もう税金として取られてしまいますと、だけど、これでも私、これいい国だと思っていますというのを何かの本で読んだ記憶がありますが、今はだんだんだんだん下がってきて、最高税率は四〇%で、この間の税制改正で四五%になったということであります。
やっぱり、司馬遼太郎の「坂の上の雲」という小説がありましたが、明治の初頭ですね、坂の上の雲をつかむように一生懸命頑張っていく、それをつかむんだ。ですから、オリンピックを成功させるんだ、それをつかむために一生懸命頑張っていくということですから、二〇二〇年のオリンピックというのは、オリパラは、坂の上の雲と例えてもいいんじゃないかというふうに思うんです。
司馬遼太郎が「「明治」という国家」という本を書いておりますが、明治という時代は心躍る時代である、しかし制度は整っていなかった、しかし明治の人たちは制度の弱点を知っていた、制度と制度には、間には大きな隙間があった、しかしその制度と制度の隙間を明治の男たちが、まあ、男たちと言っているんですけれども、男たちが体を張ってつなぎ止めようとした精神性の中に明治という国家の魅力があると、こういう言葉を書いております
台湾の実業家である日本語世代の蔡焜燦先生、これは司馬遼太郎さんの「街道をゆく」という中で老台北と言われた方なんですけれども、その蔡焜燦先生は、日本精神というのは、清潔、勤勉、正直、遵法精神、義理人情に厚いなど、全てよいことは日本精神、リップンチェンシンと向こうの言い方でするんですね、そういう言葉であらわされる。
司馬遼太郎先生など名立たる著名人が愛され、明治四十四年から続く老舗旅館を実は再興した例であります。地域文化の継承を図り、場所文化としての交流拠点として、宇和島市の実は中心市街地活性化プロジェクトとして成功しています。この六月末には一周年ということで大きなイベントもありまして、ちょっと私も見てこようと思っています。
司馬遼太郎さんも、日本人というのは本当にどう生きたら美しく生きられるかということをずっと考えてきたようなところがあるなんておっしゃられておられましたけれども、私も、新しい人権というのは必ずしも憲法に位置付けなくても、判例とか法律とかいろいろな形で書き得るんではないかと思いますが、もし新しい人権というのを憲法に書くとするならば、何か国柄に立った上での書きぶりとか工夫というようなものが大切ではないかと、
私は三十数年前からインドに特別興味あってというわけじゃないけれども訪れていますが、いろいろなまた、JICAにも訪問したり、いろいろな企業なんかも行ったりしていますけれども、今回特に感銘を受けましたのは、インド工業連盟のグルガオンに行ってまいりました折、チーフアドバイザーの司馬先生、筑波大学の名誉教授の話の中で、こんな話をしておりました。
しかし、そんな中にあって、我々非常に感動したのは、先ほどもお話ありましたが、製造業の経営幹部育成支援プロジェクト、これは司馬正次先生が指導されて、インドにおける事業経営の在り方、それから仕事の進め方、そういうようなことを一つの学校みたいな形でつくって、そこで一生懸命教えておられるわけです。
インドの司馬先生とお話しいただいたということですけど、この司馬先生、大変インドでは有名な方でございまして、誠に、何というんでしょうか、日本の侍魂がここに表れているということを、インド人に常々感銘を与えている先生でいらっしゃいます。
司馬遼太郎の「菜の花の沖」という本に詳しいのでありますけれども、この人は、北方の海路交易でもって名をはせた方であります。高田屋嘉兵衛は、国後と択捉、ここに海路を発見したり、また、北方の交易、そういったものを一生懸命やっていきました。
沈寿官先生は、平成元年に日本人初の大韓民国名誉総領事を承認された陶芸家であり、作家司馬遼太郎さんの「故郷忘じがたく候」の主人公になった方でもあります。 松下先生は、日ごろから人生の師と仰ぐ沈寿官先生の哲学や御偉業を通じて日韓関係にも心を砕いており、両国が互いに真の理解者となることで、近くて遠い国から、近くて近い国にならなければならないと御主張され、善隣友好の構築に力を注がれておられました。