2021-04-02 第204回国会 衆議院 法務委員会 第9号
法務省にお聞きしますが、旧少年法の提案理由説明で、これは一九二〇年七月十二日の国会議事録があるんですが、鈴木喜三郎司法次官が「不良少年ヲ感化教養シテ、」とあるところの一文をちょっと御紹介ください。
法務省にお聞きしますが、旧少年法の提案理由説明で、これは一九二〇年七月十二日の国会議事録があるんですが、鈴木喜三郎司法次官が「不良少年ヲ感化教養シテ、」とあるところの一文をちょっと御紹介ください。
そうすると、どこかの時点で、この司法次官通達はあるものの、それと異なる実務の運用に変わってきているという実態があるようでございます。 その経緯については、また私どもよく勉強させていただきまして、またお答えさせていただきたいと思います。
もう一つ古い話をして誠に申し訳ないんですが、この在監者が情願するのを乱用を防ぐために、昭和二年、僕らのずっと生まれる前なんですけれども、この司法次官の通牒というのがあって、これが情願裁決に関する件という通牒で、これが言わばかなり詳しくこの情願の取扱いを、特に当時の司法大臣じゃなくて現場でその情願を受けるときの対応を決めているようなんですが、これがどうも感じとしましては、現代もその根っこというのは生きているんじゃないかと
十四日には、ワシントンにおきまして、多国籍企業規制問題及びロッキード事件について、シビレッテイ司法次官、SECのポラック委員及びペルリスロッキード事件主任調査官と、米国上下両院の倫理規程の基本方針、規程の内容、執行上の問題点について、下院倫理委員会のスワンナー事務局長及びジャフィ事務局次長並びにスチーブンスン上院倫理委員会委員長と、多国籍企業問題について、上院外交委員会対外経済小委員会チャーチ委員長
それに基づいて、私が読み上げますと、当時の石井次官というのは河村司法次官にあてて覚書を送っております。
出ております最初のところは、最初は二千円という案でございますから、これは枢密院では、区裁判所の管轄と同様にしたと、こういう司法次官の答弁になっておるわけでございまして、その点で、これは、つまりインフレでどのくらいあれしたから、ちょうど二千円にしておけばまあ区裁判所との関係でよいかげんになるのだというような説明がどこかにありますと、その区裁判所より大体どのくらい金額を下げようと考えておったのか、あるいは
それで司法省は、そのときに、それを受けまして、司法省の民事第一〇一九六号司法次官通牒ということで、「当該戸籍の改製をなすは差支えなく又」間を抜きまして、「当該文字を市町村長の職権にて抹消することを得しめるのみならず、右抹消の如何には拘はらず、当該戸籍の謄本若は抄本には当該文字の謄写を省略して交付すべきこと」ということを地方裁判所にいっておられるわけであります。
高松事件のときから司法次官通牒で、部落問題に対する取り扱いについて厳とした注意が出ておるにもかかわらず、今から六、七年前に袖山でそういうことがあった。
お手元の履歴書で御承知の通り、坂野君は、大正六年七月、東京帝国大学校律学科を卒業後、司法官試補を命ぜられ、その後、地方裁判所、控訴院及び大審院の各判検事、司法省の課長、部長、局長を歴任し、昭和二十年九月司法次官、同二十一年二月には東京控訴院長、同二十二年五月には東京高等裁判所判事となり、同裁判所長官代行を命ぜられましたが、同年九月退官して弁護士となりました。
○宇都宮委員 そのお答えは当然と思いますが、聞くところによりますと、小原法相は有名な帝人事件が起つた際――例の三土忠造氏等が失脚いたしました帝人事件の起つた際に、司法次官として貴族院において釈明され、この事件は絶対に無罪になるような判決が行われることはない、こういうことを言われたそうでございます。しかるに帝人事件は全被告無罪である。
お手許の履歴書で御承知の通り坂野君は、大正六年七月東京帝国大学法学部を卒業後司法官試補を命ぜられ、その後各地方裁判所、控訴院及び大審院の各判、検事、司法省の課長、部長、局長を歴任後昭和二十年九月には司法次官、同二十一年二月には東京控訴院長、同二十二年五月には東京高等裁判所判事となり、同裁判所長官代行を命ぜられましたが、同九月退官し弁護士となり、その後昭和二十二年解散団体財産売却理事会理事長に任命されましたが
幸い犬養法務大臣のほかに刑事局長、司法次官等も見えられておりますから、専門的のことにつきましてはそれぞれの方からお答え願えればけつこうであります。
○林百郎君 高木君だつて司法次官まで勤めた人なんだ、黙つて聞いてなさい。おれだつて原稿を書いて来てこれだけ言えば済むのに、途中から言うのがいけないんだよ。それから委員長だつて、ちやんと私はこういう原稿を書いて来ているのを途中で——きのうもここで懲罰理由を、あなたは説明する必要はないと言つて、いくら聞いたつて答えなかつた。(「興奮せずにやりたまえ」と呼ぶ者あり)ちつともこつちは興奮していませんよ。
(「懲罰の被告じやないか」と呼び、その他発言する者多し)君も司法次官をしたくせに何だ。大体この懲罰委員会は自由党の私物じやないんだぞ。寛大に聞いてやるとは何だ。犬やねこじやないんだぞ。 〔発言する者多く、傍聴席で卓をたたく者あり〕
この案を提案するときに委員会ができまして、高橋法制局長官がその委員長となり、各省から委員が出まして、法制局からは馬場鍈一、松本烝治の諸君が出、逓信省からは私、農商務省から岡実、文部、内務、ことに司法省からは後の政友会総裁になつた鈴木喜三郎君が司法次官で、山内君が民事局長でありましたが、それに大蔵省からは主計局長でありました市來乙彦君が委員になつておつたのであります。
文部次官それから司法次官、厚生次官、それから内務次官ですが、今これを翻訳しますと、文部省と法務府と、それから厚生省と国警本部といいますか、この四つが青少年の問題及び学生について四次官通牒というのを出しております。これは私若い時分によく読んだのですが、これによつてお互いの間のいわゆる紛争を避け、連絡を保つために、非常に行き届いたことが書いてあつたことを記憶いたしております。
私は覚えておるが、たしか長島さんが司法次官の時であつたと思いますが、これを出された。そして弁護士会と正面衝突をしまして、なかなか聞かなかつた。とうとう全国弁護士大会を開いてその是非を問うて、司法省が負けてこれを下げられた。それからまた十年たつてからまたこれをやられた。
大体司法次官もおいでになつておりますが、どういう事情か知らぬが、二十一日までの会期に一つも出ない。延長になつたからよいようなものだが、今になつてどつと法律案を配られても、われわれは目を通すこともできない。何人がこれを全部研究できますか。そうしてどんどん上げろということは、これは惡意に解釈すると、政府は目のまわるようなことをやつて、いいかげんに通してしまおうというようにも解釈せざるを得ない。
裁判確定後における余罪の処理について、表記の件については、先に連続犯の廃止が行われるに当り、昭和二十二年十月二十八日、九日の檢察長官会同における司法次官の注意及び同年十二月三日の刑事実務家会同における刑事局長の指示によつて、これを愼重にすべきことが明示されておるのであるが、最近二、三遺憾な事例が見受けられたことに鑑み、この際一個の裁判確定後において余罪を処理するに当つては、その軽微なものまでこれを起訴
いろいろすでに印刷して頂いてある速記録に、當院におきまする關係委員會の速記録に、それが極めて明白に現われておるのでありますが、政務次官におかれましても、これらの點は衆議院においてもお觸れになつておるのではないかとは存じますが、當院におきましては、特に著しくそれが具體的に出ておりまするのは、昭和二十二年十二月二日に開催をいたしました第一囘國會における決算司法連合委員會におきまして、法務廰總裁、佐藤司法次官
同時にこれはとにかく当時の檢事局をしつかり——隠退藏の事件の犯罪面でなく、物資動員の面に拡大して帰納をしていただくのがよいじやないかというので、さらに自宅に世耕君を訪問して、特にひとつ司法次官とも懇談せられて案をねられたらよいじやないかという意見を具申した面が一つあります。
從來は檢事長から司法次官に就くというような制度でありましたが、認証官ということを一つ考えて見ましても、又先程のもつと廣域の警察をいい意味において、連絡統制して行くという意味から申しましても、檢事正の職責は非常に重くなつております。そういう点から今後は法務廳の長官とか、檢事長に出て行く。こういうふうに変つて行くべきものではないかと、かように私は考えております。