1976-10-26 第78回国会 参議院 逓信委員会 第6号
このころに、ちょうどそれまでに昭和二十五年から四号電話機という新しい電話機が入ってまいったものですから、それといわゆる三号電話機との交代時期というような要素が入っているかと思います。
このころに、ちょうどそれまでに昭和二十五年から四号電話機という新しい電話機が入ってまいったものですから、それといわゆる三号電話機との交代時期というような要素が入っているかと思います。
その際に、電話機として、過去におきましてもたとえば三号電話機を四号電話機にかえるとか、四号電話機を現在使っております六〇〇型にかえるというような大きな取りかえをやった時期もございます。
それから電話機でございますが、代表的な機種としまして自動式の電話機、いわゆる四号電話機と申します。これも五千五百二十円が五千二百七十円、これは微動はしておりますが、ほとんど横ばいです。
○説明員(佐々木卓夫君) 実は、現在私のほうで全国ネットワークの損失配分の基準を持っておりますが、この損失配分の基準は、四号電話機の出力、入力で十分コマーシャルの通話ができるということをベースにしてやっておるわけでございます。
○鈴木強君 そうしますと、技術的なことは別として、私が今既設の四号電話機を使っておる。ところが、六〇〇が非常に性能がいいから、六〇〇に私は金を出しても変えたいという希望者があったとしますね。そういう場合に、たまたまA型か何かの自動交換機を使用されている私の区内が、そういうときに希望があれば六〇〇に切りかえられるようなものですかというのです、簡単に言ったら。
それから、時間もありませんので、最後にもう一つだけ伺いますが、今度、聞くところによりますと、四号電話機というものの生産をことし限りで中止して、六〇〇型という新しい型に変えるそうでございますが、これはいつからそういうふうになるのでございますか。
しかし、今までもずっと二十何局のことを見ていきますと、何といいますか、割合にうまくいっていたのではないか、それで私たちも、たとえば過去において通研が世界に誇る技術的な問題としてよく取り上げますのは、たとえば四号電話機であるとか、あるいはマイクロウエーブの多重中継であるとか、あるいは電報中継機械化であるとか、この三つを通研の代表的なテーマとして外国にも説明していて、外国でも受け入れていたというものがありますから
たとえば過去におきまして、四号電話機であるとか、あるいはマイクロ・ウエーブであるとか、あるいはその他いろいろケーブル関係であるとか、そういった点が、実際事業の中に生かされてきております。
そうしますと残りの六制というものは三号電話機の修理だと思いますが、これは廃棄されるということになりますと、当然熊本に運ばれるわけですね。そういう場合に、現在佐賀工場でやつております。比較的距離的にいいますと、北九州は短期間に修理が完成するんじゃないかと思うのですね。
その他三号電話機なんかもやつていると思うのですが、そういう電話機を修理する量は十分今日においてはあるのじゃないですか。そうしてそのことが直ちに佐賀工場は廃止しなければならぬというような形にはなっていないのじゃないですか。
○鈴木強君 佐賀の工作工場については、デルビルとか三号電話機とかの修理をおもにやつているわけでありまして、熊本が自動電話機になっておりますね。今のお話によると、もう独立採算も成り立たないし、どうにもならないのだというのですが、佐賀の工作工場の経は最近黒字になっているのじゃないですか。
○和気説明員 先ほど副総裁の申し上げましたのは、たとえば四号電話機のごときもの、これは今後数はふえていくであろう、しかしながら修理のやり方が簡単に送話器なら送話器、あるいは受話器なら受話器、そういうものをそっくり取りかえるというふうな行き方になって参るというふうに説明をしたのであります。
たとえば電話機につきまして申しますと、御承知の四号電話機、これは今のところ一番新しい電話機でございますが、この四号電話機の構成を見ますと、昔のように振動板とか炭素粒を一々取りかえるというふうにはなっていないのでありまして、送話機なら送話機そのものを取りかえる、受話機なら受話機そのものを取りかえる、そういう一つのユニットを取りかえていくという方式になって参っておるのであります。
○平山説明員 今日私どもが考えております乙増の電話機の範囲といたしましては、先般も橋本先生の御質問にお答え申し上げましたように、郵政省令で定めることになっておりますものの、ただいまのところといたしましては一号電話機に限定して考えております。
それからもう一つ、一号、二号、三号の附属電話機を、最近どのくらい販売しておるかという数字を申し上げますと、二十九年度におきましては、一号電話機につきまして、これは先ほど松田監理官からも御説明申し上げましたが六万五百七十一、二号附属電話機は一千九百三十二、三号附属電話機は三千八百三十、合計六万六千三百三十三ということになっております。
それでこの数字は、増のものと減のものがございますので、差し引いた結果で申し上げておりますが、その販売数を申し上げますと大体一号電話機——先ほど橋本先生の仰せになりました乙増に当るものでありますが、それが二十九年度では六万五百七十一、三十年度で六万四千九十八ということになっておりまして、これは大体公社でつけた数字でございますが、販売数の約三分の一くらいが廃止ということになっておりますので、先ほど申し上
そういうようなことを勘案いたしますと、おそらく一般の需要がまだまだ一号電話機は多いというふうに考えます。ことに民営にいたしまして、大いにその点の周知なり利用の勧奨をいたします結果、需要が相当現実に現われてくるというふうに私どもは期待しておりまして、相当な伸びがあるやに存じている次第であります。
殊に現在ではすべてが戦前と違つて、例えば四号電話機のごとく、四十号の交換機のごとく、規格が統一されている現在でございます。昔とまるで、これは機械においても違いますのでございます。
又從来の電話機より通話の明瞭度の高い四号電話機に約十万個を取替えたこと、一般専用線が二百五十二回線と従前の四十四%も増加したこと、電報受付機関を増置するため、三百五十の郵便局、百三十の簡易公衆電話及び委託公衆電話に電報受付事務を開始したこと等は、いささかサービスの改善に一歩を進めたものと存じます。
また従来の電話機より通話の明瞭度の高い四号電話機に約十万箇を取りかえたこと、一般専用線が二百五十二回線と従前の四四%も増加したこと、電報受付機関を増置するため、三百五十の郵便局、百三十の簡易公衆電話及び委託公衆電話に電報受付事務を開始したこと等は、いささかサービスの改善に一歩を進めたものと存じます。
これは私どもの周囲を見渡しましても枚挙にいとまがないのでありまして、ちよつとお時間を拝借しまして実例を申し上げますと、たとえば私どもで四号電話機という電話機をつくります。これが私どもとしては現在のところ精一ぱいの努力であつたのでありますが、これができましてから、簡単なことではありますが申し上げてみますと、たとえば夜、暗がりで電話をかける、そして受話器を元へかけます。
非常にいい四号電話機にこれを成るべく早く取替えて行くというような計画を持つておりますし、雨が降りますとときどき故障が起る。これは一時よりよほど減つているのでございますが、なおそういう状態が残つておるというところにつきましては線の取替えを行うというようなことをいたしたいと思います。
次に電話でございますが、東京初め特に大都市におきまして障害の一番大きな問題になつております電話機の故障が非常に多いのでありまして、今電気通信省といたしましては、最近完成しました新型四号電話機に大量これを取替える計画を進めまして、大分都内を初め各地方に普及しつつあります。