1997-11-04 第141回国会 衆議院 予算委員会 第5号
その間に、日本のMS14号艇も触雷をするし、それからアメリカの駆逐艦パイレーツとプレッジが触雷して沈没をする、それから韓国のYMS516も触雷をして沈没する、こういう事故があったわけでございます。 私は、総理にお聞きしたいのは、こういう朝鮮戦争のときのような機雷の掃海作戦を今回のガイドラインで自衛隊がやれるのかどうか、まずこのことから伺いたいと思います。
その間に、日本のMS14号艇も触雷をするし、それからアメリカの駆逐艦パイレーツとプレッジが触雷して沈没をする、それから韓国のYMS516も触雷をして沈没する、こういう事故があったわけでございます。 私は、総理にお聞きしたいのは、こういう朝鮮戦争のときのような機雷の掃海作戦を今回のガイドラインで自衛隊がやれるのかどうか、まずこのことから伺いたいと思います。
それでお聞きしたいのでありますが、総理は、朝鮮戦争の際に、日本の掃海部隊が実際に実施した掃海で、北朝鮮元山沖で日本掃海隊のMS14号艇が機雷に触れて爆発、沈没し、死者一名、負傷者十八名という事故があったことは御存じでしょうか。
二号艇の岡山県出身の向井という選手、この選手が、フライングを犯していないのにもかかわらずフライングと発表した。それで、そのレーススタート直後に電子スリット写真で、これは誤審と判明したのです。判明したにもかかわらずだんまりを決め込んで、ファンが騒ぎ出すからそのまま成立させたという例がある。これはさっき言った褒賞懲戒審議会において業務停止の処分になっております。
○政府委員(岡田京四郎君) 現場に、当日の午後三時になりまして、当庁の巡視船の「せんだい」が到着いたしまして、韓国の警備艇第一〇六号艇に対して現場の位置を示して、ここが共同規制水域内であるということをはっきりと示した。したがってこの拿捕が不当であるということ伝えました。
三月十四日午後一時過ぎ、済州島の西にあります遮帰島から西に約十六・五海里——これは韓国の漁業に関する水域外約四・五海里の共同規制水域内でございますが、その場所で底びき漁船第五十三海洋丸が第五十二海洋丸と操業中、韓国警備艇一〇六号艇により臨検されております。 二、巡視船「せんだい」が午後三時に現場に到着し、一〇六号艇に対し第五十三海洋丸の釈放を交渉いたしました。
しかるに、十五日午前一時四十分、突然一〇六号艇が第五十三海洋丸に強行接触をいたしまして、武装した警備艇員二名が乗り込み、先に乗り移っておった同艇員二名とともに、威嚇射撃を行ない、また銃じりにてわがほうの乗り組み員を殴打するというふうな行動に出まして、実力行使によって第五十三海洋丸を済州港方面に連行をいたしました。
しかるに十五日午前一時四十分、突然一〇六号艇が第五十三海洋丸に強行接舷し、武装した警備艇員二名が乗り込み、先に移乗していた艇員二名とともに威嚇射撃を行ない、また、銃じりにてわがほう乗り組み員を殴打する等の行動に出て、実力行使により第五十三海洋丸を済州島方面に連行、「せんだい」はこれを追尾し、同艇に対し、抗議と釈放要求を繰り返したのであるが、第五十三海洋丸はそのまま連行された、こういうことでございます
○政府委員(丹羽雅次郎君) 海上保安庁の報告によりますれば、この一〇六号艇はロランその他を備えておらないようでございますので、まず挙証責任の問題等にからみますれば、向こうは何を根拠に三十三度十七分におったというか議論にもなるわけであります。
そのとき一〇六号艇が、五十三海洋丸に乗り移っていた韓国の警備員にカービン銃を渡していました。そしてそのカービン銃を持っていた警備員(二席通信士と言っていた)が、五十三海洋丸の新岡という甲板員を銃床で三回ほど頭をたたいた。そして早川という甲板員にその足もとに向けて二発ほどたまを発射しました。そのたまは床に沿って白煙が舞い上がりました。
そして直ちにその臨検の場所に急行いたしまして、十五時に五十三海洋丸と邂逅いたしまして、その後一〇六号艇と種々交渉に当たったわけでございます。
○金子(岩)委員 韓国警備艇の一〇六号艇が、この操業地点の船団の中に入ってきたという情報を「せんだい」がキャッチしたのは、何時でしょうか。
この場所で底びき漁船第五三海洋丸が第五二海洋丸と操業中、韓国警備艇一〇六号艇により臨検されました。 巡視船「せんだい」が十五時に現場に到着し、一○六号艇に対し第五三海洋丸の釈放を交渉いたしました。
わがほうからは巡視船「せんだい」が現場におもむきまして、一〇六号艇と交渉して、事件の円満な解決につとめた。 他方、十四日の夜、外務省から在京韓国大使館に対し、また在韓日本大使館を通じて外務部に対しまして、これら漁船の円満な釈放を求めたのであります。
そこで、ただ、これは言うまでもないことでございますが、一般の外国商船とLSTはすでにかっこうが違いますし、アメリカの旗を立てておりますし、御承知のように、ダナンにおいては550号艇が相当に損害を受けたという事実に私どもは目をおおっているわけではありません。
相手船は韓国警備艇の八百六十七号艇でございまして、概況は、当該警備艇が巨文島の基地に入港いたしておりまして、それからもう一隻の警備艇がやはり同じように中に入っておりました関係上、昨日来私どものほうの巡視船「くろかみ」、それから「くずりゅう」の二隻で港外においてその警戒に当たっておったのでありますが、夜間を利して、厳重な通信管制を行ない、しかも灯火管制をして、ひそかに巡視船の目のつかないような形で脱出
前の張勉内閣のときよりは組織も変わりまして、非常に活発に、しかもこの八六五号艇というのは、妙なことを申し上げて恐縮ですが、非常に成績を上げておる船でございます。
いわば一つは八六五号艇についておった「あわじ」が、端的に申しますが、「こしき」と同じようなひとつ方法をとってくれたら、あるいははさみ撃ちにはならなかった、逃走には成功したかもしれないということが、現地の意向としてあるわけです。
それから「しらぬひ」「もくせい」「うべ丸」それから六〇七号艇、これはほんとの小さな船でございますが、三池港内の六号岸壁付近に係留してございました。六〇一号艇というのは大牟田港内におりました。「ありあけ」というのは三池港から、ただいま御説明申し上げました第二人工島桟橋に参って、あそこに係留していた。こういう状況でございます。
十二日の朝四時ころ、農林二四五区の一——といいますと、二四五区の北東の部分でありますが、その付近で韓国警備艇八六七号艇——これは後にわかったのでありますが、韓国警備艇の追跡を受けまして、救助を頼む旨の通信を五島の奈良尾漁業無線局あてに連絡しつつ退避を開始したのであります。
第一一九号)(第一三七号) (第一五四号)(第一八二号)(第 一八五号)(第一五五号)(第二九 五号)(第二九六号一(第三二七 号)(第三二八号)(第四四二号) (第四六〇号)(第四七七号)(第 四八〇号)(第四八一号)(第四八 一号)(第四九〇号)(第五二五 号)(第五二二号)(第五二三号) (第五四二号一(第五四七号)(第 五四号)(第六一号)(第五六二 号)(第五六三号)(艇
そうしてこれを購入することをいたしまして、でき上りました品は、一隻に二基積むわけでありますが、最初の二基は地上百時間の試運転の際にはいい能率を発揮したが、第一号艇に積みまして試運転をしました場合に、カム・シャフトが折損したという問題が起きまして、これを返しまして、陸にまた上げて修理をした。
第一号艇に積みまするものを二基検収いたしましたのは、何と申しまするか、技術的にいろいろ点検もするほかに百時間の運転をいたしまして、そして支障がないということで検収をいたしたのでございます。こういうものを検収しまする場合の十分な用意をもっていたした検収というふうに考えておるわけでございます。
それで本船の行動位置を、例えば韓国海軍が言いましたところのオンペールの沖である三十三度二十四分、百二十六度五十七分の位置で以て彼らが拿捕したのであるならば、向うの三百一号艇並びに松寿丸、海鳳丸が本船と行動をしてWNWの地点から、二十二時からコースで走つて、これが牛島でありますが、この牛島を見て南下して、ここにちよつと出ておるところのこれが城山浦という港でありますが、この城山浦に二時三十分頃入つておる
その後本船に続行せよ、無線は使うなと強く言われて帰されたので、本船に帰りみんなにこの旨を伝えたのでありますが、この上彼らに反抗すると危険だからと言い、危険だからと思つて二十二時三百一号艇に続行したところが、二十分くらい経つた頃三百一号は又四、五十発を発砲したのでびつくりして本船もストップしたら別に日本船一隻拿捕されたのであります。
本船に続行せよ、無線は使うな、と強く言われて帰されたので、本船に帰り、午後十時ごろ三百一号艇に続行したところ、二十分もたたないうちに、三百一号艇はまた四、五十発くらい発砲したので、本船もストツプしたら、別に日本船が一隻拿捕されました。午後十一時ごろ再び続行を命ぜられた。
そのうちに十三日の午後四時頃自分達を拿捕した三一〇号艇が自分らの行方を探しに来まして、そうして三一〇号艇よりポンプを借りましてその晩夜通しで十四日の午前六時に排水を終りました。その排水作業と同時に西帰浦で魚も四百七十箱陸揚げしました。それから同日十四日午後二時頃西帰浦出発、三一〇号艇に曳航されて木浦に向いました。
○証人(門崎進君) 自分達の拿捕された三一〇号艇は前の日本の掃海艇であつたそうであります。武装は船首の方に砲一門、十七ミリ機関砲数門付けておりました。
○証人(門崎進君) 自分の捕まつた三一〇号艇は、下士官の話で自分が聞きましたが、艇長以下四十二、三名乗つておると思いました。