2020-03-10 第201回国会 参議院 文教科学委員会 第2号
つくる会系の教科書ができて、ああ、こういうきちっと自虐史観ではない、国の自立心、独立心みたいなものをきちっと主張するような教科書もあってよかったねと。うちの自治体は、教育委員会の中で様々議論があったけれども、こういう教科書を認定して教育も少し変わってきたという評価もあるわけですよ。それを文科省が極めて不正と思われる手段で元から潰しに掛かるというようなことをやったら、日本の教育は発展しませんよ。
つくる会系の教科書ができて、ああ、こういうきちっと自虐史観ではない、国の自立心、独立心みたいなものをきちっと主張するような教科書もあってよかったねと。うちの自治体は、教育委員会の中で様々議論があったけれども、こういう教科書を認定して教育も少し変わってきたという評価もあるわけですよ。それを文科省が極めて不正と思われる手段で元から潰しに掛かるというようなことをやったら、日本の教育は発展しませんよ。
多くの国民が、次世代を担う子供たちには自虐史観から脱却をして正しい歴史を学んでほしい、偏った情報があたかも真実のように取り上げられることがないようにしてほしいと感じておられる、この国民の声を文部科学省は正しく受けとめていただきたいと思っております。
今回の森友学園の問題は、何といいますか、日本で皇国史観に基づく、そういう教育をする小学校をつくりたい、それを応援したいという保守勢力の方々の強い、何といいますか、願いとか大きな力が働いてきたように思うわけであります。
○横路委員 大臣は、従来、日本はこれまで、戦後レジームの中核をなす東京裁判史観に毒されてきているせいで、歴史認識について言うべきことを言わず、なすべきことをしてこなかった、むしろ、言うべきでないことを言い、すべきでないことをしてきたといって、その典型が河野談話と村山談話だというふうに言われています。今もそのお考えですか。
安倍総理や日本の保守主義者たちは現代日本の教育をよく批判する、学校現場で左翼教師たちが日本の侵略戦争を持ち出して自虐史観を生徒に教えていること、さらに戦前の伝統を覆す個人主義や平和主義を教育しているのが気に食わないのだ、反動右翼による戦前回帰の動きが塚本幼稚園の事例に見てとれる、こういう記述があるんですよ。
しかし、日本は悪かった、侵略国家だったということを謝らなければいけない、これを繰り返し繰り返し聞かされていたら、やはり日本国民としては、そんな自虐史観みたいな話はたくさんだという気持ちになるのも、これまたわからない話ではないというふうに思うんです。平和国家として日本は七十年やってきたじゃないか、こういうふうに日本国民としても言いたくなる、こういうやむを得ない部分もあるというふうに思うんです。
ここでそういうことを言うところではないからあれかもしれませんけれども、私はこういうところから自虐史観であるとかいうところが醸成されていくんじゃないかなというふうにちょっと思って見ていたんですけれども。ただ、そういうことは学習指導要領には書いてあります。
そのためには、これは改正教育令で書かれているんだと思いますが、「幼少ノ始ニ其脳髄ニ感覚セシメテ培養スル」、つまり幼少時から洗脳することが必要だとされてこの修身が位置付けられ、そしてそれが、国に殉ずる、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」というその教育勅語の文言で分かりますように、殉国思想や皇国史観が子供たちに幼少の頃から植え付けられていったという、これは紛れもない我が国の道徳教育の始まりの歴史であるわけですね
そして、講和の会議の中の議論を日本にとって良い方向、正しい方向にジャヤワルダナ氏の発言が導いたということなんですけれども、それ以上に、私自身は、東京裁判史観というものを私たちは教えられてきたんですけれども、植民地化されてしまったアジアの国々にとって、東京裁判史観とは違う日本の存在というものがあったということをジャヤワルダナさんはあの講和に向けた会議で発言をされていると思うんです。
○緒方委員 城内外務副大臣のブログ等々を読んでおりますと、東京裁判史観からの脱却とか、東京裁判という茶番劇とかいう表現がたくさん出てくるんですけれども、もう一度確認をいたします。よろしいですね。
これは、靖国に行きましたので、靖国に行ったことが、東京裁判史観の否定であったりサンフランシスコ体制の否定に見られたら困るということで、わざと入れていると思うんです。 ということは、全体として引き継ぐというのは、それぞれこの核心の部分、歴史認識の部分を引き継いでいるのであって、あとはそれぞれの思いを書いていらっしゃる。
しかし、一方でまた、この待ったなしの世界情勢の中で、総理の掲げられた戦後レジームからの脱却というその旗、そして、その中核にある憲法改正や安全保障法整備、さらには東京裁判史観からの脱却ということもまた重要なテーマであろうかと思います。 こういったテーマに関し、総理はどのようにお考えなのか、お伺いをいたします。
自虐史観という言葉があるんですね。戦争の教訓や反省を言うと、あなたは自虐史観だ、もっと、そんな反省とか教訓を言わないで、未来志向にしろと言わんばかりの論調、私は大変これは違和感を覚えます。これだけの犠牲を出して、日本が得た教訓について冒涜するのかという気持ちにもなるわけでございます。 それでは、総理、質問をかえますと、さきの戦争の教訓というのは、総理は何が教訓というふうに肝に銘じておられますか。
ただ、私は今までの近現代史の教科書を見てきて、どうしても、過去の大戦で日本は近隣諸国に被害を与えた、こんなに悪いことをした、だから反省しながら生きなければいけないという自虐史観に基づいた教科書が多いように思えてならなかったんです。
最近、ニューヨークタイムズに、安倍政権の教育改革は、片っ方でグローバル教育をしながら片っ方で愛国教育をしているという批判がありましたが、これは全く当たらないというふうに思っておりまして、日本人としてのアイデンティティー教育、歴史や伝統や文化をきちっと教えるということは、これは右傾化とか国家主義的な愛国教育とかそういうジャンルでは全くないわけでございまして、歴史においても我が国は自虐史観的なやっぱり部分
私は、千葉市議会のころからもこの採択に本当にとことん戦ってきた人間であり、教科書の田沼とも言われておりましたけれども、自分で言ったのかもしれませんけれども、それぐらい、やはり自虐史観脱却のためには採択改善が大事です。 これは、ことしの三月二十六日の文科委員会で大臣に質問させていただいたのが絞り込みの問題ですね。
○白眞勲君 いや、私が聞いているのは、河野談話は自虐史観だとずっと一衆議院議員としてあなたはおっしゃっているんですよね。だから、どうなんですかと聞いているんです。今はお立場が副大臣だ、そういう中で自虐史観なんでしょうか、それをお聞きしたいんです。イエスかノーかなんですよ。
河野談話というのは自虐史観かどうかをお聞きしているんですけれども、どうなんですか。 あなたは今まで、一衆議院議員としては自虐史観だということをはっきりとおっしゃっていましたよね。今あなたはどういう立場なんですか。そして、どういうふうにお考えですか。河野談話自体は自虐史観なのかどうか。お答えください。
まさに階級闘争史観そのものの文言じゃないかなと。 共産党の方からするとこれは非常に立派な文章になるというふうに思うんですけれども、私らからするとこれは非常に大きな違和感を感じるんですね。(発言する者あり)いや、そう思うよ。そのとおりとちゃうの、これ。階級闘争史観そのものとちゃうの。(発言する者あり)こっちで質問するけれども。 それで、次にこの二番、この第二条、これがあれなんですね。
徐々に自虐史観を払拭されるはずだとおっしゃって、南京大虐殺やいわゆる従軍慰安婦などの史実と異なることが教科書に記載されていると指摘したわけですよ。 これは個人的な発言だったんですか。
この自虐史観の根本の話をすれば、私は広島から出た被爆二世の国会議員として、やはりどうしてもあの平和公園の原爆慰霊碑、この文言にも大きな自虐史観の原罪があると今でも思っております。これについてはきょうは触れませんけれども、本当に、次世代の子供たちが日本人に生まれてよかったというものを残していくのは、我々大人がどう行動するか、これでしかできないということだけお伝えさせていただきます。
○副大臣(西川京子君) ですから、まだ学説的にこうだと決定していない事実に関しては、片方のそうだと決定した事実だけを書く教科書、それはやはり自虐史観にのっとっているということではないんでしょうか。
○副大臣(西川京子君) 自虐史観と一般に言われていますのは、自分の国になかなか誇りを持てない、そういう歴史史観というんですかね、そういうことだと思います。
○白眞勲君 そうしますと、その自虐史観というのはどういう意味なんですか。今、河野談話は安倍内閣としては継承するということですから、自分もそれに沿ってやっていくというお話をされましたけれども、この自虐史観というのはどういうことなんでしょうか。前の教科書に自虐史観があったということでよろしいんですか。
それが、何かあたかも我が国の成果のように書かれているのは、極めて自虐史観的で嫌なんですね。譲る話を喜々として書くような我が国の新聞はいかがなものかと思って、その結果、これをとってきましたということが見出しを飾るなら、我が国民の一人として大変うれしく思いますけれども、こんなことが譲れました、こんなことが譲れましたと喜々と書いていることは一体何なんだ。