2018-05-31 第196回国会 衆議院 内閣委員会 第23号
九九年にお台場カジノ構想ができたときは、二十四時間眠らない東京都市といいますか、ヨーロッパを念頭に置いた、ホテルにカジノを加えたような感じのものをまず想定していたわけですね。 そのころの議論というのは、実際、海外の事例で、カジノの周辺人口、それから来客率とか一人当たりの消費額とか、そういうボトムアップ型で積み重ねてきた。そうすると、どうしても規模は小さくなっちゃうんですね。
九九年にお台場カジノ構想ができたときは、二十四時間眠らない東京都市といいますか、ヨーロッパを念頭に置いた、ホテルにカジノを加えたような感じのものをまず想定していたわけですね。 そのころの議論というのは、実際、海外の事例で、カジノの周辺人口、それから来客率とか一人当たりの消費額とか、そういうボトムアップ型で積み重ねてきた。そうすると、どうしても規模は小さくなっちゃうんですね。
まず、いわゆるカジノというものが日本で言われ始めたのが、二〇〇一年、当時の石原慎太郎東京都知事がお台場カジノ構想ということを出して、それからまた大阪の方でも、大阪府の方で、これは二〇一〇年、大阪エンターテイメント都市構想推進検討会というのが設置されました。この東京、大阪の両首長が日本維新の会の共同代表ということでやってきた。