1947-09-27 第1回国会 衆議院 隠退蔵物資等に関する特別委員会 第18号 これは電波兵器をつくつておつたのでありますが、その工場は終戰後東洋工機株式會社という新しい會社に工場が買收されて、そこの社長の宮田慶三郎というのが、第一兵器廠より古鋼、鐵その他のものを一緒に、當時電波兵器に使うために殘されておつたところの銀線を拂下を受けたわけであります。その金額は當時八十九萬圓、その量は會社側の主張によりますれば、三十二萬トン餘ということになつております。 梶川靜雄