1994-05-26 第129回国会 衆議院 予算委員会 第10号
あるいは、古典的資本主義に逆戻りすることだって、考えようと思えば考えられなくもない。 そういうときに一番大事なものは何なんだ。これはやっぱり我々人類がみずからの欲望に歯どめをかけることではないかと思うのでありますが、これは従来の立場だと倫理とか宗教によってやったのじゃないかと思う。
あるいは、古典的資本主義に逆戻りすることだって、考えようと思えば考えられなくもない。 そういうときに一番大事なものは何なんだ。これはやっぱり我々人類がみずからの欲望に歯どめをかけることではないかと思うのでありますが、これは従来の立場だと倫理とか宗教によってやったのじゃないかと思う。
利子・配当課税優遇については、かなり以前から論議されてまいりましたが、現在、わが国がなぜこのような措置をとったかについては、シャウプ勧告導入以来、経営と資本が一体化するところのいわゆる古典的資本主義を基礎とする法人擬制説の税法体系であるからであります。
○国務大臣(佐藤榮作君) 古典的資本主義というのはちょっと私には内容がわからないのですが、今石油業法自身を考えましたものも、ただいま言われる完全自由経済という形なら、まあこの法律は必要はないのでございまして、これは業界にまかしておけばいい、やはりこういう業界に対しての一つの業法を作るということ、これはいわゆる古典的な自由主義というものではないのではないかと思います。
特に、ニユー・デイール政策実施以来の米国経済を初め、英国あるいは西ドイツ等々、いずれも資本主義の内包する矛盾を克服して、思い切つた革新政策を断行し、いわゆるハイ・ウエージ、ロー・コストで世界経済に活躍しておるのに、日本の吉田内閣は旧態依然たる古典的資本主義を墨守している。(拍手)世界経済とその基礎理念を異にし、国際経済と波長が合つていないのであります。
この予算が、自由放任、弱肉強食という、古色蒼然たる古典的資本主義によつて裏打ちせられておるからであります。 学究的な理論闘争はやめて、単刀直入、事実と対決しましよう。日本の働く人口の四割六分は農民でありますが、その四割六分の農民が働いて受取る所得は、国民の総所得に対して、お話にならぬほどの低率であります。
私は申したくないのでありますけれども、彼はみずから「修正資本主義の構想」という本の中で、今後の日本は修正資本主義でなければならない、自由党のような古典的資本主義ではだめであるということを書いておる。(拍手)ところが、現在どうです。自由党の諸君に選ばれて委員長になつておる。單に言葉だけでなくして文字に言いたことすら、昨日のことは明日ひるがえすといういい標本ではないかと私は思う。
安本が昭和二十七年度を目標こ描いておる自立経済の規模は、貿易の輸出入おのおの十四、五億ドル、食糧増産、米麦合せて千二百万石、生活水準は昭和九、十、十一、三箇年平均の八九%等でありますが、計画性なき古典的資本主義経済、自由経済を本領としておられる現自由党内閣において、はたしてこれが可能である心かどうか、安本長官から承りたいのであります。
すなわち、ローガン構想による自由貿易体制への復帰ということ、また債務償還金をもつてする金融機関のペーイング・ベーシスの上に立つて投資を主眼とする資本の蓄積の方法、また高額所の得者の属に対する税金の緩和な一連の政策は、通過の安定さえ得れば、その後は価格機構の自動的な調節によつて自然的成行きにまかせるという、前世紀の古典的資本主義に一貫しておるのであります。
この事実は、貨幣的安定さえ実現すれば、その後は価格機構の自動的な調節によつて自然的成行きにまかせるという、一世紀前の教科書に書いてある古典的資本主義の方法であります。
(拍手)私はかような意味におきまして吉田首相が自立達成、内政の自由に対する熱意は非常に敬服するのでありまするけれども、この九原則という至上命令を機会に、世界の政治動向の大勢と少し違つておつた、そこで自由を確立するためにこの際面子を捨てて経済九原則をやつて行こうというこの機会以外にはないのでありますから、今までの古典的資本主義、あるいは自由経済に対する狂信的な信仰を宗旨がえされて、眞に世界の政治動向に