1982-04-20 第96回国会 参議院 地方行政委員会 第8号
いわゆるフリードマンらの新古典学派と言われるものですか。私はまあ素人なんだけれども、そう言われておるでしょう。その一つの流れとして、公共経済学ということで、ただ乗りはけしからぬという議論が盛んになされてきています。
いわゆるフリードマンらの新古典学派と言われるものですか。私はまあ素人なんだけれども、そう言われておるでしょう。その一つの流れとして、公共経済学ということで、ただ乗りはけしからぬという議論が盛んになされてきています。
それによってより国際的に有利な工業が伸張し、それによって国民経済全体としては、生産力の水準が伸びる、これが古典学派の教えるところであります。しかしこの理論は、農業と工業の岡における完全なる自由と申しますか、資源の移動が完全に自由に行われるという前提で立てられたのでありますが、今日はそういう自由がないというところに大きな問題があるのであります。
経済的の合理性という点からしますると、言うまでもなく消費者価格と生産者価格とは直結すべきもの、これが古典学派の教えるところであろうと思うのでありますが、それを否定するのが二重価格の構想であろうと思うのであります。さて、それならばその問題をどう考えたらいいか。