1973-06-06 第71回国会 参議院 決算委員会 第10号
○政府委員(北雄一郎君) エルダーになりました者は、勤務時間内外におきまして、先ほど先生おっしゃいましたが、古兵という意味じゃございませんで、むしろよき相談相手になってやる。干渉がましいこともしてはならぬと別途指示をしておりますが、よき相談相手になる。そういたしますと、勤務時間外のそういった行動の中におきましていろいろ実費がかかる場合もあるわけでございます。
○政府委員(北雄一郎君) エルダーになりました者は、勤務時間内外におきまして、先ほど先生おっしゃいましたが、古兵という意味じゃございませんで、むしろよき相談相手になってやる。干渉がましいこともしてはならぬと別途指示をしておりますが、よき相談相手になる。そういたしますと、勤務時間外のそういった行動の中におきましていろいろ実費がかかる場合もあるわけでございます。
一人の新兵に一人の古兵がつくんです。そして日常座臥、とにかく、指導ということもありましょうが、いろいろと監視をしていく。何かその古めかしい旧軍隊当時の戦友制度というふうなものをまねたような気がしてならぬ。そういう古めかしいことを今日の労務管理の中に持ち込むというところに問題があるように思えてならぬ。
そう言う点でこれから武器を買えといえば、アメリカの要求は第三次防の約倍の十億ドルの古兵器を買え、こういっておるようだし、対外援助の肩がわりをせい。自由化はまた強く押されておる。電算機、牛肉、オレンジジュースという形でくるというようなことで、私はワンセットでくると思うのだが、政府は一体どこまでこれは譲歩されるのか、国民はこれを非常に不安に思っておる。その点を大臣から聞いておきたいのであります。
単にアメリカが朝鮮戦争で使った古兵器を自衛隊に今までよこしたように日本に押しつけてくるのと違うのです。今度はこれは日本で新たに作らせるという体制である、こういう格好でやっていく、なぜ私が知っているかというと、そういう意味でも知っているし、しかもこの問題は去年の外務委員会でもちょっと触れているのです。ですから私は知っているわけなのです。
あるいはアメリカが、いわゆる私どもの言葉で言えば、使い古しの兵器を日本に押しつけているということなんでありますが、今後も日本の自衛隊の使う兵器は、アメリカの古兵器に依存するのか、日本で作るのか、この点を一つはっきりお答えを願いたい。
また一面、アメリカの経濱面から見まして、軍需生産が頭打ちしつつある、古兵器をだれか使つてくれぬことには、アメリカそのものが困つて来るわけなのです。ですから日本に地上軍隊をつくらして、日本だけでなくそのほかにも地上軍隊をつくらして、古兵器を盛んにとつてくれ、MSA援助といつても、ただではありません。たいへんもうかるわけです。
ところが私が調査したところによりますと、これで喜ぶのは、アメリカの武器製造会社で古兵器の処理をもてあましている会社であつて、日本の援助にはならない。このような答えが出て来るのでございます。そこで日本の業界に、はたしてどの程度の援助がもたらされるものであるかということを、はつきりと御答弁願えれば、それでけつこうでございます。
こんなときアメリカからもらつた古兵器で武装したところの軍隊というものは、役にも立たぬし、悪いことはせぬにしても、将来災いをなすのであります。というのは、これを新たなる装備の軍隊、近代的な軍隊にしようとするには、どうしたらできるかというのです。今からつくつておりますと、宇垣一成さんか陸軍大臣時代に、予算をふやさずして近代化をしようとした。
まず第一番に武器の貸与でございますが、あなたたちのおつしやるプラスの面は、古兵器をかかえて困つているアメリカの兵器会社に対しては非常な援助がございます。ところが、日本がこの兵器の製造を一部分引受けておりますけれども、その兵器の製造はまるでかたわの引受方でございます。なぜならば、機関銃にしても砲にしてもあるいはその他のものにしても、ほとんどこれはたまかたま受けか台座でございます。
これは少々悪口になりますが、ある人の悪口によれば、日本の保安隊なるものは、あれは外国の古兵器のごみ捨て場だというふうにまで言われておる。しかもその古武器は日本人の体格に合わない。日本人の指はアメリカ人より小さい。背も低い。ですから引金一つ引くにも満足な引き方ができない。めがねをのぞくにも踏台がなければのぞけない。
○永井証人 そんな心の状態ではなかつたのでありますが、私亡骸を運ぶについて常に蒙古兵と二人で運んで行く途中、亡骸に心から哀悼の意を表しながら三里の道を歩んで行つたのでありまして、併し私が亡骸を運ぶときは酒井軍医が死亡診断書を作つて、そうして亡骸を衞生兵の若い兵隊の人達が馬車に載せまして、そうして毛布をかぶせて、動搖しても動かんようにしつかりして、それからは私にこれを頼むと言われるのが普通であつたのであります
蒙古兵が先程の木下委員の質問のありましたように、日本人を懲るという考から、特に意識的に日本人の生活を悪く、生活程度を下げておつたというふうなことについて、あなたの見聞されたところを聽かして頂きたいと思います。
從いまして初めの頃は北門の方だけに、北門を出ましたごく近くにいわゆる蒙古軍の衞兵所がありまして、そこには始終蒙古兵の歩哨が立哨しておつたのでありますが、逃亡兵が出るようになつたのが一つと、もう一つは反対側の正門であるところの南門の外側に筏を運搬する河がありまして、そこで夜間作業などが続くようになりました結果、南門の外にも非常に高い望楼を設けて、そこにも蒙古兵がやはり立哨をするようになつたのであります