2011-01-26 第177回国会 衆議院 本会議 第2号
今回政変が起こったチュニジアは、古代都市国家カルタゴの流れをくむことは御承知のとおりであります。小さいながらも、商業主義に徹し、国民も豊かな生活を享受。ローマとの第一、第二ポエニ戦争ではいつも負け戦でした。敗戦国として、武装解除、戦争放棄を強いられるわけであります。
今回政変が起こったチュニジアは、古代都市国家カルタゴの流れをくむことは御承知のとおりであります。小さいながらも、商業主義に徹し、国民も豊かな生活を享受。ローマとの第一、第二ポエニ戦争ではいつも負け戦でした。敗戦国として、武装解除、戦争放棄を強いられるわけであります。
これは、古代都市国家における民会、あるいはスイスの一部のカントンで行われているようないわゆる青空議会と呼ばれるもの、また、現行法上も、地方自治法の町村総会、町村議会にかわって町村総会を置くことは可能なわけですが、これもそれに該当すると考えていいと思います。
私は、都市ということを思い起こしますと、古代都市のポンペイの遺跡を思い起こしてなりません。このポンペイの遺跡、扇大臣、そしてまた佐藤副大臣、月原副大臣、森下政務官、見たことありますか。ないですか。私は、森下政務官は見た、ああ、そうですか。
○高野博師君 もう少し定義を整理して発言していただけるのかと思ったんですが、古代都市とか中核都市とか、都市という言葉が非常にいろんな意味で使われるんですが、都市というものについて共通の意味内容を持った上での議論でないとこれは議論にならないと思うんですが、そこで都市という概念をやっぱりきちんと整理しておく必要があるんではないかと思います。
八世紀に奈良の地に造営された平城京は、中国の都市をモデルにつくられたアジア的な古代都市でした。平安京に都が移された後は消滅しましたが、建物跡はそのまま地下に残り、また東部の春日大社周辺の東大寺、興福寺、春日大社などの社寺を中心に南都と呼ばれる中世都市が形成されました。
奈良、京都に次ぐ第三の都、古代都市から中世都市が形成される中間にあって、第四の都、これは鎌倉というわけですが、第四の鎌倉が中世を統一するその先ぶれ、地ならしをしたのが平泉だ。つまり奈良、京都、そして平泉。そして平泉の場合は、特徴として地方の力でもって練り上げた地方からの政治であり、文化である。
昭和三十九年外遊をされ、イタリアの古代都市の遺跡を訪れた際の感慨をお漏らしになり、そして議会制民主主義のあり方について私にお話をされました。しかるに森田さんは、六月十九日、みずから健保特例法案の強行説明に手をかし、一昨日はまた再び無責任きわまる特例法修正案の強行採決へ手をよごしたのであります。(拍手) 国会が定める法は、全国民一人一人を規制し、その行動、生活に重大な影響を及ぼすものであります。