2011-07-22 第177回国会 衆議院 科学技術・イノベーション推進特別委員会 第7号
具体的に、例えば今回の地震にしても、地震の考古学とかかなり学際的な分野になってきていると思いますし、それから、例えば日本の古代国家成立の歴史を調べるとなると、同位体分析の手法とか、これは、歴史ということでいけば、大学でいえば大体文学部にあったりしますが、同位体分析などで出土品を分析するとなると自然科学の世界になるので、そういう点では、先生のおっしゃったことは非常に意味があるなと思っているんです。
具体的に、例えば今回の地震にしても、地震の考古学とかかなり学際的な分野になってきていると思いますし、それから、例えば日本の古代国家成立の歴史を調べるとなると、同位体分析の手法とか、これは、歴史ということでいけば、大学でいえば大体文学部にあったりしますが、同位体分析などで出土品を分析するとなると自然科学の世界になるので、そういう点では、先生のおっしゃったことは非常に意味があるなと思っているんです。
纏向遺跡は、弥生時代終末から古墳時代前期に営まれました集落遺跡でございまして、我が国における古代国家の形成過程及びその時期における社会の状況を知る上で、極めて重要な遺跡であるというふうに認識をしております。 そのため、文化庁では、平成十八年度から、地元桜井市が行っております纏向遺跡の範囲や性格などを把握するための埋蔵文化財発掘調査事業に対しまして国庫補助を行ってまいりました。
国交省の方には観光庁もあるわけですが、さっきも言ったように、今、遷都千三百年、そして、橿原とか纏向というのは、古代国家成立の歴史にかかわるところですから、日本の歴史の愛好家や、もちろん研究者たちも行くわけなんです。
エジプトの王家の墓は発掘に行き、しかし、日本の古代国家解明と、当時の、倭国と言われた時代の、倭と東アジア情勢などの歴史的解明に貢献できる古墳の学術調査を妨げるというのは、私はやはり考え方としておかしいと思うんですが、官房長官のお考えを伺っておきたいと思います。
なぜそれが大事かといったら、当時の古代国家成立過程における権力構造を知る手がかりとなり、倭国と東アジアとの交流を読み解くかぎになるんですね。 文化庁に伺っておきます。 文化庁としても、学術調査の申し出を行う、調査を行うという立場に立つことが大事だと思うんですが、どうですか。
ですから、その点では、交通の要衝にあり、物流の拠点でもあり、そして当時の、古代国家が成立されていく時代の非常に重要な地域であったのが纏向というところだと思うんです。 そういう点では、この箸墓古墳については、我が国の歴史の正しい理解のために欠くことができない、歴史上、学術上価値のあるものに該当するというふうに思うんですが、この点についてのお考えを伺っておきます。
○吉井分科員 あと三十秒ほどになりましたので言いっ放しで終わりますけれども、歴史というのは、私は古代国家成立の部分を言いましたけれども、十万年前あるいは五万年前とか二万五千年前とか、アフリカ北部を旅立って、ずっと日本列島へ来る間に、いろいろな時代、いろいろな地域での文化や知識や技術を身につけた私たちの祖先がやってきたわけですね。
○吉井分科員 箸墓古墳というのは古代国家の成立という大問題を解明するために極めて重要な文化財でありますし、箸墓古墳の墳丘の周辺では、奈良県の橿原考古学研究所や桜井市教育委員会の発掘調査などによって近年重要な事実が確認されております。それは、箸墓の墳丘の周りには、築造時には巨大な堀、すなわち周濠が確認されたというものですが、この新たに確認された知見について御説明をいただきたいと思います。
社稷、これは、古代、国家のことを社稷といいました。国家は祭礼でありまして、そこから来た言葉であります。社稷これに次ぐ、つまり、第一が民のことであり、国家のことは後回しにすべきであるという孟子の説であります。 もちろん孟子は一思想家でありますから、権力者に協力したこともありますが、権力は権力の生態があります。
これはちょうど室長が私も手がけてといってなかなか御自慢のところだったので、ちょっとのぞいてきたんですけれども、この地域というのは、縄文時代の遺跡から古代国家成立の時代、戦国時代の佐々木導誉というばさら大名から関ケ原の戦いに至るまでの間、さらには江戸時代の参勤交代や朝鮮通信使の時代のことに至るまで、数千年の歴史の蓄積、集積地でもあるんですね。
日本の歴史でなぞの多い古代国家形成期の歴史を復元するというためには、大古墳の調査が欠かせません。三世紀から六世紀までの古墳は大型の前方後円墳、築造技術を駆使して造られた文化的モニュメントの傑作で、また日本が世界に誇る文化財でもあるんです。これを積極的に公開していくように努力をしていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。
○菊地委員 歴史を顧みますと、東南アジアの国家、古代国家でありますけれども、その多くは川港から発展しておりまして、港は交通の要衝であるだけでなくて、物流の拠点であり、文化や情報の受信基地であり、発信基地であったわけであります。
この遺跡について日本考古学協会埋蔵文化財保護対策委員会は、酒船石遺跡と飛鳥池遺跡、さらにはその周辺地域が我が国の古代国家形成期の諸課題を考える上で比類のない重要な文化遺産を包蔵していることが明らかになったと酒船石遺跡の保存に関する要望書で指摘をしています。
○岩佐恵美君 飛鳥地域は、先ほどから言われていますように、六世紀末から七世紀にかけて日本の古代国家の政治、文化の中心舞台となったところです。しかも、朝鮮半島や中国大陸との交流も活発で、東アジアの歴史とも重要なかかわりを持っています。 長官は改正案の説明で、明日香村の歴史的風土を保存することは国家的課題と述べられました。
だから、東アジアにおける古代国家意識というものの確立は、日本だけではなくて朝鮮半島においても同様であったと考えることができます。 しかし、何分にも半島は大陸と地続きであったために、絶え間なく大陸の軍勢の兵馬に虐げられて、そう容易に自分の意思を発揮することができず、例えば新羅はみずから律令を編み出すことができずに、唐の律令の中から必要な内容を拾い出して受け継ぎでやるということになります。
陵墓古墳の問題は古代国家と民族のルーツなど歴史研究に重要な文化財であって、科学的に研究されるべき国民共有の財産だと思うんです。これを破壊から守って科学的な調査の対象にしていかなきゃいけないと私は強く思うわけでございます。
同館は、日本古代国家の形成過程と国際交流をさぐるというメーンテーマを掲げ、一須賀古墳群を中心に府下に点在する遺跡に関する展示をしています。独創的かつ斬新で、随所に古墳をイメージして設計されたこの博物館は、隣接する広大な風土記の丘とともに、古代の歴史に接して、これを学ぶにふさわしい雰囲気を持ったユニークな教育文化施設であります。
次に、文化財保護についてなんですが、これは過去何度か予算の分科会やあるいは文教委員会、私は昨年地方行政でも取り上げたこともありますが、ずっとこの数年来議論になってきた一つに、日本の古代国家成立前夜の混沌とした時期というのが大体六世紀中葉から七世紀前半にかけてあるのですが、つまり、そのときの中心が大和飛鳥へ移っていくまでの期間に河内飛鳥と言われる石川流域が畿内の中枢として存在した時期がありました。
今度は自治大臣としてまさに頑張っていただける分野なんですから、私はぜひ自治大臣としてまた、一須賀古墳群の保存という点で、それからさっき言いました峯ケ塚古墳の学術調査についても、本当に近つ飛鳥といわれるこの地域ですね、日本の古代国家の成立の過程のなぞを解くかぎを秘めたところですから、これの保存や学術調査という点では、ぜひ大きな力をあなたにも尽くしていただきたいと思うんですが、この点では塩川大臣のお考えを
これは日本の四世紀、五世紀、六世紀という、このころの古代国家成立の過程でまだ十分解明されていないいわばなその部分といいますか、未解明の部分を解明していく上で非常に大きな意味を持つ文化財をたくさん秘めた地域なんですね。 二重堀という大きなものですから、これは大体大王級の古墳というふうに思われますが、通常は、宮内庁管理になりますと全く学術調査もできないんですね。
○吉井(英)委員 今おっしゃったように、六世紀から七世紀前半にかけての当時のまさに日本の古代国家の形成の過程におけるなその部分を解明する上で、やはりここもまた非常に大事な学術的な価値を持ったところなんですね。しかも今おっしゃったこの古墳群というのは、二百数十基の古墳があるんですね。これは全国的にも非常に珍しいんですね。そんなにあちこち多くあるわけじゃありません。
同時に、古代国家の経営を離れて、つまり当時の中央権力ということですね、中央権力から離れて、古代国家の経営を離れて、地方の独立を達成しようとする地方の豪族の営みとして形成された意味が大きい。与えられた文化じゃない、地方の力でもって築き上げた文化なんだということであります。そしてまた、規模から、内容からいって奈良、京都に次ぐ第三の新しい形の都である。
これは日本の歴史を解明する上でもまた日本の古代国家の建設についても非常に大事なものがたくさん詰まっている。文学的な表現をすれば、我々の祖先が我々に呼びかけている。私たちはこういう生活をしていた、こういうものを使っていたんだ、こういう権力構造であった、こういう政治形態であったということを呼びかけているわけですね。
この点では、各党も紹介議員になっておられると思うわけですが、私も先日、現地を調査してまいりましたし、景観が非常にすばらしくて、今お話しのように群集墳という点でも大阪の三大群集墳の一つ、古代国家の形成過程を知る上でも重要な拠点と言われているところであります。
だから、例えばインドの宗教なんかでもペルシャの影響が強いんだと言われているし、いろんな意味でペルシャというのは古代国家の本来の中心で、そのことがイランとイラクが張り合う理由ですけれども、ペルシャというのは、あの辺の中近東の中では高い山があって、湿地があってと、そういう地域なんですね。それから、あれはアフガニスタンやなんかの横で、ソビエトと地域的なつながりがあるところでしょう。
○林参考人 ちょっとむずかしい御質問でございますけれども、今度の明日香立法において「国を愛する」云々という言葉が置かれておるのは、明日香村が、よく言われます日本人の心のふるさとである、あるいは日本の古代国家が成立した最初の段階の遺跡を持っている、そういうことから来ているんだろうと思うわけでございます。