1993-03-25 第126回国会 衆議院 内閣委員会 第4号
○大出委員 当時、与党の自民党の皆さんのところは伊能繁次郎さんが非常にお元気でこの問題に取り組んでおられまして、公明党さんは鈴切康雄先生がこれまた一生懸命やっておられまして、民社党さんは受田新吉先生がこれは本当に一生懸命でございまして、私の党は私がやっておりまして、内閣委員会に恩給の小委員会をつくりまして、外国特殊法人をどう拾うかということで、本当に恩給局の方々や専門家の方、調査室の方、みんな来ていただいて
○大出委員 当時、与党の自民党の皆さんのところは伊能繁次郎さんが非常にお元気でこの問題に取り組んでおられまして、公明党さんは鈴切康雄先生がこれまた一生懸命やっておられまして、民社党さんは受田新吉先生がこれは本当に一生懸命でございまして、私の党は私がやっておりまして、内閣委員会に恩給の小委員会をつくりまして、外国特殊法人をどう拾うかということで、本当に恩給局の方々や専門家の方、調査室の方、みんな来ていただいて
これにつきましては、実は五十年三月十八日に我が党の受田新吉先生からこれに触れていただいておりまするほか、各党の各先生がこれに言及されていることでありますが、さらに私はこの議会の初日、つまり十二月の二十八日に質問主意書を提出させていただきまして、年越えて一月の十二日にその御回答をちょうだいしました。法律的にはこれは答えておりますよ。しかし、世間常識からいってこれは答えにならぬ。
これは我が党の大先輩であります受田新吉先生の努力の中で、第九十六国会におきまして外国人教員任用法ということがやっと通過をいたしまして、それからようやく国公立大学に外国人の教授も入るようになった。このような閉鎖的なことが続いておれば、日本の大学なり教育というものが国際的になかなか評価しづらいということは、当然と言わなければならないと思うのでございます。
また、民社党の受田新吉先生、私の給与の先生でございますが、人事委員会の委員長時代から、私、長いおつき合いでありますけれども、ずいぶん御苦労されました。私ども一緒に一生懸命やったのでありますが、そういう経緯がございますだけに、一%予算が組んであって、そして人事院の勧告が四・五八%出ておるということ。
○中山国務大臣 先生のお話しの人事院制度創設以来の歴史、また完全実施に至るまでの関係各位の御努力、私はその点も十分認識をいたしておるつもりでございますし、また完全実施になりました際の国会における佐藤総理、山中総務長官、また受田新吉先生、大出俊先生の御発言の議事録等も詳細に拝読いたしております。
また、この人事院というものが、今日までの歴史の中で勧告というものの実現が初めてされた昭和四十五年の当時の佐藤総理と、その当時質問された、たしか受田新吉先生だったと思いますけれども、あるいは衆議院の大出俊先生の佐藤総理に対する人事院勧告の完全実施の際のいわゆる質問と答弁、その議事録も私は許しく読ましていただきました。
最初に、私事を申し上げまして大変恐縮ですが、実は昨年亡くなりました受田新吉先生の後継者といたしまして、このたび新しく選出をされてきたものでございまして、受田先生が三十二年有半にわたり、長い議員生活の中でその大半を内閣委員として大きな足跡を残してこられたわけでございますが、そうした受田先生ときわめて御縁の深い内閣委員会所管事項につきまして決算委員会でこうして質問に立たせていただくこと、非常に私は深い感慨
○大久保事務総長 まず、議長より、故議員受田新吉先生に対する弔詞贈呈の御報告がありまして、弔詞を朗読されます。 次に、各種委員等の選挙を行います。この選挙は、その手続を省略いたしまして、議長において、各会派から申し出のありました候補者について指名いたします。 次に、請願三十九件を緊急上程いたしまして、委員長の御報告を省略いたしまして採択いたします。
民社党の受田新吉先生もおいでになったり、私もその小委員に加わりましたりして、福田大蔵大臣に前後七回お目にかかって、二十二億ばかり金が要りますので、一篇切れたものを、詰めてまた新しい法律で通していただいて、内閣委員会の委員会提案にして成立を図っていただいた経験がございます。やってできないことじゃない。
政府の原案と違って、わが党の受田新吉先生の提案で、「教頭は、校長を助け、校務を整理し、及び児童の教育をつかさどる」、こういうような原案であったものを、「及び児童の教育をつかさどる」を「及び必要に応じ児童の教育をつかさどる」、こういうように改められたわけであります。
私がその問題を提起している理由は、先ほども理事会で話が出ましたが、受田新吉先生おいでになりますが、二十年前に人事委員会というものがこの国会にあった時期に、衆議院の人事委員会の委員長をおやりになっていた。私は当時、官公労の事務局長をやっていまして、受田人事委員会委員長に陳情に行った。
おまけに、私の先輩の石橋政嗣さんが当初おつくりになった議員立法の臨時措置法がございますが、これは時限立法でございまして、期限が切れましたので、私の手元で、本委員会の長老である伊能繁次郎先生なり、民社党の受田新吉先生なり、参議院においでになる自民党の岩動道行先生、四人で小委員会をつくりまして、勲章と年金法、それから駐留軍の被害にあった方々を救済する法律それと臨時措置法と、議員立法を三つこの委員会が出して
実は、御質問の機会にちょっと釈明と申しますか、言いわけを申さなければならないと思いますが、ちょうど一年ほど前の衆議院の内閣委員会で、受田新吉先生から、入管令改正の意思があるかどうかということの御質問がございました。