1952-11-13 第15回国会 参議院 厚生委員会 第2号 それから労役の状態でありますが、私の仕事としましては、国民党当時は、先に申上げましたように材料の管理、材料といいますと建築でありますとか電気、水道、そういつたものの材料倉庫でありますが、そこの収発—出し入れの事務をやつておりましたので、その当時はまあ非常に仕事は楽でありましたけれども、中共になりまして造紙廠に変りましてからは、火夫—罐焚きですが、火夫—と、それから又石炭担ぎなどをやらされたので、労働 田中賢次郎