2020-11-13 第203回国会 衆議院 安全保障委員会 第2号
報復攻撃は破壊によって相手国に対して反抗心を萎縮させる攻撃を狙うもので、とても必要最小限度とは言えない、こういう作戦になる可能性がある。それを、こういった報復攻撃ととられるようなことまで、憲法上できるというふうに判断をしているのか。これは合憲というふうになるのかどうかというのはちょっと確認をしておきます。
報復攻撃は破壊によって相手国に対して反抗心を萎縮させる攻撃を狙うもので、とても必要最小限度とは言えない、こういう作戦になる可能性がある。それを、こういった報復攻撃ととられるようなことまで、憲法上できるというふうに判断をしているのか。これは合憲というふうになるのかどうかというのはちょっと確認をしておきます。
元をただせば反抗心なんですよ。反抗心があるから発想するんです、人間は。それを今の子供は、みんなそういうふうにして、けんかするな、いたずらするな、反抗するな、まるでペットか何か育てているようにやる。ペットと子供がもうごっちゃになっているんです。あのペット教育と盆栽教育、枝を切ってしまう盆栽のように格好よくつくる、あれは全部駄目なんです。それが現状なんですよ。
多少、子供というのは反抗心もあるのが当たり前ですから、ふざけたりむちゃをやるときもたまにあるんですから、そういう中にあって、体罰を加えるようなことはしないとか、そういうのはもう法律以前の問題でありますから、基本的なことがわかれば、あとは指導で、できるだけ生徒の基礎的な能力を向上させていく、いいものを伸ばしていこう、そういう指導が私は必要だ。
国際連盟の設立当時、昭和天皇様の回顧録の中に、寺嶋さんを相手として残された記録としての対談の中に、国際連盟ができたときに日本は人種差別問題をなくす条項を提案したが、これが拒否された、これが日本の軍隊を大変刺激して米英に対する反抗心につながった、これが第二次世界大戦の軍部の強硬な路線をつくった最大の根底であると書き出しの部分で昭和天皇様が御発言をなすっています。
中学生は一番反抗心旺盛なときじゃありませんか。ところが、それが許されない。ここが、ストレスがたまる、あるいは時には切れる状態にまでいくという、こういう問題なんです。 特別活動などを点数化する、あるいは行き過ぎた内申書重視の高校入試、あるいは推薦制というのもあるんですね。この茨城の場合は推薦制の枠が三〇%なんですよ。
どうしても感情的になったりいたしまして、そうすると生徒の側も反抗心を持つ。そこには教師と生徒との間のあるべき信頼関係というものは破壊され、なくなってしまうわけでありますから、そこで、いわゆる体罰を加えることは禁止されておるというふうに思うわけであります。
まず自己主張の強い、反抗心の強い――いい子供がいたとするならば、お父さんとお母さんか、おじいさんかおばあさんが立派であったか、あるいはまぐれ当たりで先生が立派である、それ以外の子供は、恐らく今私が申し上げましたような子供しかできないと思うのであります。
今回の法改正でいわゆる少年指導委員というのもあるけれども、それは必要なのではないかという御意見ですけれども、警察に対するアレルギーといいますかね、学校の方の先生とかあるいは町中のいわゆる補導員ですね、そういう人たちに対しての変な反抗はなくても、警察の少年指導委員となるとがくっとくるような、反抗心というか、そういうような点の心配はないものかどうか、お伺いしたいと思います。
ところが、中学という一つの年齢段階にいくと、これは非常に暴れたくなり、反抗心が旺盛になって、そういう集団心理もまた一番働きやすい年齢でございます。戦前は中学というのは五年制で、四年、五年は高等学校や専門学校の受験勉強に追われて、これはそういう暴力をふるったり暴れたりする余裕がない。
あるいはいい子だけかわいがっていくと、あれはおれたちはもう見捨てているというような場合については、教師に対する反抗心を持っていますから、それを代表してやっているという側面はあるんですけれども、ただ、実際最近これだけたくさん教師がやられていると、単純にそれだけでは処理できない側面が僕はあると思うんです。
○木島委員 大臣、いまあえて第二反抗期と申したものは何かと申しますと、この時期はまさに成人になる過程としてだれもが通らなければならない時期であり、そして、それは多分に反抗心なり攻撃心を持っておるものであります。これが逆にないものですから、このごろの青年全体がおとなしいとか消極的過ぎると言われるから、あるいは中曽根さんはたくましい文化なんと言わなければならないのかもしれませんよね。
大体反抗心からわざと持っていってやらぬぞなんと言って、いばって持っていかないやつは少ないんで、やっぱりうっかりして持っていかないという方が多いでしょうね。この点は刑事局長の答弁の方がはっきりしておって、何か入管の局長の方は、そういうものもあると思いますというようなことではっきりしないけれども、入管の局長ね、やっぱり過失犯の方が客観的に多いということは、あなたもそういうふうにはお考えになるでしょう。
「自我の目ざめは、幼少年時代の反抗心となり、」これはどういうことですかな。それから「もはや一つ一つの産品について解決するという生ぬるいやり方では満足しえず、成年への期待と焦躁心で一ぱいになってきた。」「特にモノカルチャー経済の発展途上国が取りうる施策はきわめて限られ効果の薄いものとならざるをえず、やがて溺れるもの藁をもつかむ国情となり利害を一にするもの同志がカルテル行為に走る。
だから、頭から押さえつけてやろうと思っていくというと、反抗心のかたまりみたいなものだからなかなかうまくいかない。そういう点、きょうは余り論議したくないので後日に譲りますけれども、私がきょうお尋ねしたいと思ったのは、そういう大変えらい審理を要する事件というものがふえてきていますから、裁判官のいまのままの定員で処理できるかどうかという問題をお尋ねしたかったのです、一片の趣旨は。
こういう矛盾を目の前に見せておいて担い手育成なんというのは、言うてみるだけで、それはもう人間でありますから、人間というものは競争心も反抗心も抵抗心もいろいろ持っておる動物です。だから、かえって矛盾を目の前に見せて反抗心や抵抗心や競争心——競争心は起きない。ばからしい、とこうなる。もう少し税制的な面でこの担い手育成を考えるんなら、その点を十分配慮してやってもいいじゃないか、こういう意見が強い。
こういったようなことを後の感想文で読みますと、ストのいい悪いは別といたしまして、それ自体が教育を受ける子供たちに与える影響というのは大変大きいんじゃないか、こういう気持ちが、だんだん大きくなるに従って不当な反抗心とかあるいはゲバ棒騒ぎという暴力関係などにも通ずるような問題に発展するんじゃないかという気さえ起こるわけでございます。
まあ東洋のモナコだとこう言われるぐらいギャンブルが盛んなんですが、人間は競争心や抵抗心や反抗心を持っている動物だから、まあそれぞれの競争心をあおるということもいいでしょうが、余りにも国がやり過ぎるという立場から、一つでもこのギャンブル的な要素になるようなものはやめた方がいい、こういう立場で私は申し上げたいのは、この賞品つき、景品つきのお年玉はがきはやめたらどうか。
これは金大中という大統領候補になった人が日本に滞在しておって、「朝日ジャーナル」だかで発表していますが、若い青年なんかは、これは日本の経済侵略じゃないかと、反抗心を持ってこれを見ている。
そのために、自分は別に思想を持っているわけではない、しかし、いまのこんなひどいことをする警察という体制に対して非常に反抗心を持って、その後だんだん過激な方向に入ってきた、こういうふうに述べておる者が比較的多いわけであります。
かえって反抗心を強くするだけだと思う。その辺は十分気をつけてもらいたいですね。 それからもう一つ、これはやはりきのうの昼間のデモだったらしいのだが、この新聞にも書いてあります。