1956-05-29 第24回国会 衆議院 法務委員会 第37号
そうして、荒川、高騰両医師の診断措置後に、さらに新しい友影医師を呼んで、しかも前に医師の診察措置をしたことを告げずに秘密にして診察させまして、もって高橋医師の側に立つ診断を一つでも多く加えようといたしております。これは病気をなおそうという態度ではありません。どうしたら勾留継続を合理的に立証することができるかということに注意が払われたというのほかはございません。
そうして、荒川、高騰両医師の診断措置後に、さらに新しい友影医師を呼んで、しかも前に医師の診察措置をしたことを告げずに秘密にして診察させまして、もって高橋医師の側に立つ診断を一つでも多く加えようといたしております。これは病気をなおそうという態度ではありません。どうしたら勾留継続を合理的に立証することができるかということに注意が払われたというのほかはございません。
そこで、当時の主任検事の井村検事、それから荒川医師、友影医師、高橋医師と、夫人堂森一枝及び六十何才かで二月以上もたたき込まれていた母親の堂森せん、それと、高志警察署の署長と川崎警部補及び丸岡署長、この人たちを証人として当委員会に御喚問の上、当委員会で直接お取調べを願いたい、これを請求いたします。
高橋医師はエルマの標準血圧測定を行い、友影医師は血圧の測定を行なっていないのであります。荒川、友影の両医師は心臓弁膜症、高橋医師は心臓の既往症以外に故障はない、こういうふうに診断しておるわけでございます。
そのほかに、主任検事である井村検事から直接に説明を徴し、さらには高橋医師、友影医師、横山丸岡警察署長、金沢高検支部の須賀検事等のそれぞれ説明を徴しておるわけであります。
○長戸政府委員 病状の診断はフレッシュなときになされることが必要であると思いますけれども、荒川医師の診断の結果、勾留に耐え得ないというふうな診断が出たので、それに対して慎重を期してさらに高橋医師の診断を受けまして、それに反する診断を得た、それで大事をとりまして第三の友影医師の診断を受けた、これは検察官として相当な配慮をしたというふうに私は考えております。
従って、刑務所の医務課長の高橋医師と、いつも御厄介になっておる荒川医師と、それから友影医師の三人の方に御診察を願ったということになっております。私、実情を調べまして、その点が明らかになりましたので、補足させていただきたいと思います。
私は、さらに、十分の御答弁をいただきますために、一対二という、その二のうちのもう一人の友影医師の診断について考察を加えてみましょう。 丸岡警察署長より福井地方裁判所あての報告書によると、友影医師は堂森夫人を次のように診察いたしました。すなわち「多少のショックはあるでしょうが、別に悪いところは見えない。ただし心臓は少しわずらっておるようである。」
同夕刻本人より強心剤の注射を求めましたので、丸岡町の友影医師の来診を請うておりますが、この医師の診断によりますと、多少のシッョクはあるであろうが別段悪いとは見受けられない、但し心臓は少々わずらっているようであるというのであります。しかし、この荒川医師の診察もございましたので、一応取調べを中止いたしまして、二十四日午後二時三十分福井刑務所の病監に移しております。
これは堂森さんの派のお医者さんだそうでありまして、別にお医者さんの診断がへんぱに失すると申しませんけれども、そのほかの福井の刑務所の高橋医師、友影医師の両方のお医者さんがさらに見ましたところが、これは十分勾留に耐えられるという診断でありますし、当局側といたしましては、この堂森夫人は逮捕される少し前までオート三輪車などに乗られて連日選挙運動をしておられたという状況でありますので、この程度の状況では勾留