1987-12-08 第111回国会 衆議院 法務委員会 第1号
全く論点が変わりますけれども、昭和六十二年十一月二十三日、つい先ごろでございますが、午前二時五十分ごろ、兵庫県の淡路島南約五キロ、和歌山県の加太友ヶ島南西約十五キロの紀伊水道で、エンジントラブルのため漂流し、救助を求めていたプレジャーボート幸栄二号に、小松島発和歌山港行きの南海フェリー「たちばな」一千四百十二トンが衝突、ボートに乗っていた三人が海中に投げ出され、うち一名が死亡したという海難事故がございました
全く論点が変わりますけれども、昭和六十二年十一月二十三日、つい先ごろでございますが、午前二時五十分ごろ、兵庫県の淡路島南約五キロ、和歌山県の加太友ヶ島南西約十五キロの紀伊水道で、エンジントラブルのため漂流し、救助を求めていたプレジャーボート幸栄二号に、小松島発和歌山港行きの南海フェリー「たちばな」一千四百十二トンが衝突、ボートに乗っていた三人が海中に投げ出され、うち一名が死亡したという海難事故がございました
瀬戸内海のうち、この紀伊水道あるいは友ヶ島周辺、これはたしか第五管区に属すると思うのですけれども、第五管区の海上保安本部における過去五年間の船舶交通量の推移と要救助船舶総数の推移、こんなものはどうなっていたのか、あわせて、これは予測ですけれども、今後数年間における交通量はどのように動くと見ていられるのか、その点についてお伺いをしていきたいと思います。
ところが、今度は地元の神戸新聞が、六月の七日午後二時五十五分にチャーター機の調査によって明らかになりましたことは、一つは淡路島の東岸沿いの大阪湾友ヶ島付近に赤潮が発生していること。第二点は、淡路島の由良の港沖合いから志筑港沖合いにかけて、これは公明党の私たちが五月に確認したことと一緒でございますが、長さ十二・六キロ、幅百メートルの赤潮の帯。
東に出ると神戸港、大阪港、また先ほど来問題になっております友ヶ島水路に向けて航行する。ちょうど須磨ノ瀬あたりが分離点になって東と南に分かれて進んでおるわけでございますが、そういうところにおける規制等が全然行なわれていない。
事故の概要を申し上げますと、当時大阪は天気は悪うございましたが、一応有視界飛行の限界の気象状態でございまして、このアツタ水上機は有視界飛行の飛行計画を提出いたしまして、予定どおり飛び立ったのでございますが、まず二千フィートの高度をとりまして飛行いたしておりましたところ、岸和田を視認いたしまして、次いで友ヶ島を確認いたしております。
それから荒天時には沼島の北方を回って友ヶ島を経て和歌山へ迂回する線を書いてございます。そうすると船体らしきものを発見したというのがもし南海丸であれば、潮崎の南方六千八百メートルというのはこの荒天時の航路に当るのか、あるいは常用航路に当るのか、そのいずれに当るのか、海上保安庁の見解をお聞きしておきたい。
それからさらにその後の新聞の発表によりますと、友ヶ島の南約三マイルのところに重油が流れておったということを聞きました。沼島の西と友ヶ島の南とでは場所が非常に違う。また今度船体らしきものが発見されたといっておる場所、これも違うように思うのですが、大体これに対する関連性があるかどうか、長官から伺いたい。