1970-04-23 第63回国会 参議院 運輸委員会 第12号
それから霞ケ浦については、技術的にいわゆる埋め立て上非常に困難なことと、もう一つは百里原飛行場のいわゆる航跡に当たる、こういうことで不適当である。そこで、結局、富里付近がそれらの障害が少ない、土地条件もよろしい。
それから霞ケ浦については、技術的にいわゆる埋め立て上非常に困難なことと、もう一つは百里原飛行場のいわゆる航跡に当たる、こういうことで不適当である。そこで、結局、富里付近がそれらの障害が少ない、土地条件もよろしい。
○政府委員(白石正雄君) 埼玉県熊谷市所在の旧陸軍飛行学校御稜威原飛行場所属の土地十万坪でございますが、これにつきましては国有財産審議会の意見を求めまして、本項に書いてありまするような会社に払い下げることが適当であるという答申を得まして、払い下げた次第でございます。
○国務大臣(伊能繁次郎君) 百里ケ原飛行場は三十一年度に計画をいたしまして、工事を始めましたのは三十二年度からでございます。それから第二点の目的につきましては、御承知のように、関東地区に適当なジェット航空基地がありませんものでございますから、従来昭和三十二年度の防衛計画整備目標設定の当時から考究いたしました結果、百里ケ原付近が最も適当である、かように考えまして計画いたした次第であります。
そのアーチには百里原飛行場誘致促進ですか、万歳ですか、そういう文字を掲げて準備万端抜かりなくやっておった。ですから誘致促進派に対しては事前にはっきりと連絡があった。ところが町長や町役場当局には何一つ連絡がなかった。こういうことになっているようですが、こういうことでは明らかにおっしゃることと違った。
○西村(力)委員 私は去る一月二十二日、茨城県の小川町百里原飛行場に自衛隊の音楽隊が出動した問題に関連して、お尋ねをいたします。この出動という言葉を使うのがどうも変なような気がするのですが、こういう場合の用語は一体どういうことになっておるか、お尋ねをいたしたいと思います。出動ではなく、出張とか、出向とか、どういう使い方になっておるか、それの用語を統一して、これから申し上げたいと思います。
○伊藤顕道君 今、百里原の話が出ましたけれども、私も先般、内閣委員会の委員として茨城県下へ参りまして神ノ池、百里原飛行場、こういう面について実態調査して参ったのですけれども、その後調達庁としては神ノ池、百里原についてはどういうふうに考えておられますか。
私の村は茨城県の霞ヶ浦と鹿島灘との丁度中間にありまする、元海軍の百里原飛行場という大きな飛行場のありました純農山村でございます。そうし地理的環境から、偏つた見解を申上げるかとも存じまするが、一応村の情勢を申上げます。さような非常に僻陬の農山村でありまするので、従来医者は殆んどおらなかつた。参りましても半年か三ケ月で町へ行つてしまうというように、実に医者の立たない村であつたのであります。