1973-03-06 第71回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第4号
この速記録で見ますと、「四十三年の三月の二十八日に原田香留夫弁護士が、そして四十三年の四月一日に、これは数名の弁護士が、東京、大阪から広島の刑務所長に、吉岡に面会さしてほしいということを申し入れたわけでございます。」こうなっておる。その数名の弁護士の中に私が入っておるのです、八海事件の常任弁護人でしたから。
この速記録で見ますと、「四十三年の三月の二十八日に原田香留夫弁護士が、そして四十三年の四月一日に、これは数名の弁護士が、東京、大阪から広島の刑務所長に、吉岡に面会さしてほしいということを申し入れたわけでございます。」こうなっておる。その数名の弁護士の中に私が入っておるのです、八海事件の常任弁護人でしたから。
原田香留夫弁護士です。これは本人が行くというので行かしたわけでございますが、行ったところが、報道関係、マスコミの記者が来ておって、そこでいろいろと過去の古傷を尋ねられ、そしてまた、そのとき手記を渡すというような状態に相なったんだろうと思いますが、そういったように、まずここで接触があったわけです。その後、二回、三回原田弁護士のところへ行っております。
吉岡が、自分が単独でやったもので、阿藤さんらほかは全然関係がないのだという手紙をいままで何通も刑務所から発信しているのに、それがどうも届いてないらしいということを盛んに言っているということを弁護団が聞きまして、そして四十三年の三月の二十八日に原田香留夫弁護士が、そして四十三年の四月一日に、これは数名の弁護士が、東京、大阪から広島の刑務所長に、吉岡に面会さしてほしいということを申し入れたわけでございます
そしてこの吉岡さんが身の危険を感じて、八海事件以来のおなじみである原田香留夫弁護人に、何とか助け出してほしいという連絡をとろうとしたが、どうしてもとることができない。原田弁護士もまた、何となく心配になって、吉岡のほうに電話をかけたところ、けんもほろろに、一切会うことならぬということで、保護観察所のほうから断わられた、そういう事実があるわけなんでございます。
四十二年五月九日付最高検察庁あて表題は告白状、同年五月十五日付最高検察庁あて表題は告白状取り下げ願い書、同年七月七日付広島高等検察庁あて上申書、同じく七月七日——同日付でございます、広島地方裁判所あて上申書、同年七月十日付原田香留夫あて郵便書簡、同年七月二十八日付同じく原田香留夫あて郵便書簡同年七月二十九日付広島地方裁判所あて上申書、同年八月五日付広島高等検察庁あて上申書、四十三年二月一日付最高裁判所
○志賀(義)委員 もう一問ありますが、淡谷君が待っておられますから、きょうは私から特別に立ち入っての質問はいたしませんが、八海事件の弁護人原田香留夫君の事務所を検察庁が強制捜査をして、だいぶ文書をとった。これは今まで日本の弁護士で、自分の担当した事件でこういうことをやられた人はないと思うのでありますが、この点については報告は参っておりますか。
六月二十四日には、右の確約に基いて協議会を開いたが、開会前にすでに市役所前廣場で、原田香留夫弁護士指導のもとに、大衆的五、六百名が人民大会を開いて氣勢をあげていた、協議会を開会するや、この大衆は赤旗を押立て、傍聽席になだれ込み、赤旗を議場につるして、傍聽席はこの大衆で超満員となつたが、CICの係官が來ていたためか平穩であつた、赤旗については議長より注意を受けたので、穩やかに巻いて傍聽していた、二十二
きようの証人の徳毛さんもおいでになりましたし、また原田香留夫弁護士もおいでになりましたし、その他四、五人、合計七、八人の方がおいでになりました。岩村さんは私と昔から面識があるのですから、本來日鋼のことは、あすこを出られたら、どうかということを話もしたのでありまして、できればあなたと二人で解決しようかということまで言つたのですが、よく共産党本部へ帰つて連絡しようというような話もあつたのです。
○西村證人 十四日の日に党の委員長の徳毛君、それから稲村代議士、自由法曹團の弁護士原田香留夫、その他五、六名の人が私のところに参りましてデモ、争議のことについて話をされたのであります。そのときに國警は管轄権を持つておらぬから應援を要請の必要があれば出すけれども、國警では指揮権は全然ないのだということを聞いた。
午後四時四十分ごろ、廣島の弁護士原田香留夫、この人も演説したそうであります。それから時間はよくわかりませんが、そのころ共産党の廣島縣委員長徳毛宣策という人が、職場死守の演説をしたというようなことを聞いております。大体その程度です。
○金子證人 自由法曹團では原田香留夫、並びに高橋……あれは名前は何というのかよく存じませんが、そういう方等がおいでになつたように記憶しております。
また日鋼廣島製作所騒擾事件につきましても、ただいま読みました証人のほかに日鋼廣島製作所総務部長鈴木重喜君、第二組合執行委員植田盈君、日鋼労働組合組合長林春一君、同じく書記長越知一見君、同じく日鋼共産党工員黒神貞松君、縣労組会議副議長中下勝君、自由法曹團廣島支部原田香留夫君、朝鮮連盟安藝支部長彰任出君、廣島市公安委員長長崎五郎君、船越町助役、鷹島市長、呉市長、廣島縣会副議長檜山袖四郎君について調査の必要
午後六時三十分、加藤代議士及び自由法曹團の原田香留夫、こういう人々もまたこの会場に來つて激励煽動演説をしたそうであります。その後日鋼の正門は完全に破壊されてしまつたのであります。