2009-04-02 第171回国会 参議院 厚生労働委員会 第7号
すなわち、原爆被災者の外部被曝の様式とは異なり、放射能降下物の吸入や食物連鎖による体内摂取による甲状腺内部被曝が最大の懸案事項です。 こういうことは科学的知見としてしっかりとこれから研究していかなければならない。
すなわち、原爆被災者の外部被曝の様式とは異なり、放射能降下物の吸入や食物連鎖による体内摂取による甲状腺内部被曝が最大の懸案事項です。 こういうことは科学的知見としてしっかりとこれから研究していかなければならない。
東京空襲、広島、長崎の原爆被災、沖縄戦、そしてアジア全域、世界各国におけるルールを見失った無差別殺りくの戦争体験を忘れることなく、九条の非戦規定と自衛隊の存在を矛盾なく整合させる方法はあると思います。つまり、第九条には触らずに、国連待機部隊設立など自衛隊の役割を国連と関連させて新たに規定するという方法です。
その家屋部分が、まるで根こそぎブルドーザーで押しやられたように、広島の原爆被災地、あるいは、もちろん私は生まれておりませんでしたが、東京大空襲の跡のようになってしまった。その写真が二枚目でございます。
本委員会での法案審議が始まって間もなく、被爆者団体である長崎原爆被災者協議会の理事会において法案に関して決議が上げられていますので、趣旨を御紹介したいと思います。全文は、レジュメの参考資料として一応つけておきました。 この決議は、さきの大戦で人類初の核戦争によって悲惨な被害を体験し、今なお悲しみ、苦しみを引きずっている私たちは三法案に反対しますと述べています。
当時の政官の一つの付き合いなんですが、私は役人当時よく官邸にいた古川さんと会ったこともあるし、また私が政治家になり、細川政権ができたときに彼が厚生事務次官のときに、原爆被災者補償法案をつぶしてくれたら厚生省に関係することは何でも聞くというふうに言われたことでございます。彼の筆跡も知っております。したがって、これは非常にやっぱり確率の高いこれは本物と思っております。
医学部には、附属の施設として原爆後障害医療研究施設、原爆被災学術資料センター、動物実験施設があり、それぞれ被爆者の治療及び放射線の人体に与える影響の研究、原爆被災についての医学的資料の収集、整理、活用、並びに実験用動物の飼育開発を行っております。
○三原委員 調査研究の点でも、我々のこの法案の中でも書き込んでおりますけれども、それに対して、将来にわたって、これまでの原爆被災者の方々に対する我々の対応ということはもちろん忘れてはならないことですが、これから先の問題として、チェルノブイリがあったり、これは被害がなかったスリーマイル島の問題があったり、そういうことが、科学を利用する我々の地球上において将来新たな問題点として大いに強調しなければいけない
建設長崎県民会 議議長 久米 潮君 長崎県被爆者手 帳友の会会長 深堀 勝一君 長崎県労評セン ター単産被爆者 協議会連絡会議 議長 築城 昭平君 日本原水爆被害 者団体協議会代 表理事 長崎原爆被災者
これは、その人たちに特異な被害をこうむった原爆被災者に対して、我々が払う税金の中からこういうふうな補償をしようという、そういう趣旨をあらわすわけですから、国家の金として使う場合に、それはきちっと、特別給付金は特別給付金と書いて渡すべきである、それ以外の文言を書くということは適当でないというふうに思います。心は別でございます。
○河上説明員 今御指摘ございましたように、現行の学習指導要領におきましては、直接にその原爆被災者の援助とか救済ということについての記述はございません。しかし、御指摘ございましたように、核兵器あるいはその核兵器の脅威について着目させるという記述はございます。
しかしながら、今回の原爆という、人類がかつて経験をしたことのない、このような非人道的な兵器によって非常に多くの人に、大量にして、そして耐えることのできない質的な、今まで経験したことのない残虐な非人道的な結果をもたらした、そして、戦後五十年たつ今日もなおその傷痕はいえていない、ますます苦しんでいる、こういう事実を国民は納得をして、昭和三十一年には原爆被災者に対して医療法を制定したではありませんか。
我々としては、その二つの重要な有権的な判断、そしてまた、五十六年には、衆議院本会議でも申し上げましたけれども、当時の園田厚生大臣が、基本懇の精神を踏まえて今後施策を講ずるという発言をしていらっしゃるわけでございまして、我々は、そのような流れから見て、決して、一般戦災者と原爆被災者との間を、不均衡であるとか不平等な扱いをしているとか、そういうことは言われることはない、国民的合意が今もう形成されているというふうに
○冬柴議員 このような悲惨な原爆被災者が受けた損害というもの、それを現時点の人たちの状態をとらえて、その人たちが原爆後遺症に悩んでいらっしゃる、そしてまた生活上も困窮であり、そして老後、孤独の中で五十年を過ごされたという悲惨な状況だけに着目して、そしてこれを社会保障的な観点からとらえるというのが政府の立場のように思われてならないわけでございます。
○国務大臣(赤松良子君) 先ほども申し上げましたように、原爆ドームというのは我が国が唯一の原爆被災国であるということを世界に向かって示し、平和への決意を示すという点で非常に意義のあることと存じます。また、総理大臣がその方向での検討を進めよとおっしゃる御趣旨もございますので、私どもといたしましては、種々の課題の検討を進めるという方向で進みたいと存じている次第でございます。
次に、外務大臣に伺いますが、核武装の国際法上の問題でありますが、私は長崎の出身でもありますし、原爆被災者の大変悲惨な状況について、現在でも続いているわけでございますが、そういうような状態を逆なでするような今回の措置については本当に不満でありますが、中でも、スウェーデンとかメキシコとかあるいはウクライナとかそういうような被爆されていない国においてすら国際法上違反であると、こういうふうにはっきりと明言しているわけでございますが
それでは次に、原爆被災者の所得制限の撤廃問題についてお伺いしたいと思います。 昨年の五月十五日に、厚生省の昭和六十年度原子爆弾被爆者実態調査(死没者調査)が発表されております。この調査は、戦後四十年たって初めて実施された国の調査でありますが、遅きに失したと言えるわけでありますけれども、改めて原爆の非人間性について裏づけられたと思います。
○橋本敦君 これは刑事局長に念のためにお聞きしておきたいんですが、現地の警察では器物損壊罪ということで捜査をしているという報道もあるんですが、これは単なる器物損壊というよりも、むしろああいう原爆被災の犠牲者を追悼するという礼拝所のようなところに対する放火事件ですから、単なる器物損壊ではとどまらずに、刑法の百八十八条一項に言う礼拝所に対する不敬の行為ということに該当する、あるいは放火罪として処断し得るかどうか
この原爆被爆者対策につきましては、御承知のとおり、政府としては今日まで一貫して他の戦争犠牲者との関連において措置されてきたところでありますけれども、また一方、原爆被災者は他の一般戦災者とは異なった犠牲になっているんじゃないかという見方もいろいろとあることも存じております。
と申し上げますのは、先ほども浜本議員の質問の中でちょっと問題になりましたけれども、原爆被災者やあるいは労働災害あるいは交通災害等で重度の障害を負いまして、そして入院治療した。その結果、症状だけは固定化するわけです。しかし、後は介護人なくしては生活できないという方たちが実はたくさんおられるわけです。
○古川委員 大臣にお伺いをいたしますが、前斎藤大臣が、昨年の決算委員会でございますけれども、私の質問に対しまして、この原爆被害の調査をまとめながらいわゆる原爆被災白書といったもの、その取りまとめを検討したいというふうに答弁をしておられます。
それからもう一つは、これは韓国の国内に原爆被災者のいわゆる治療をする病院をつくったらどうか。これは私が初めて言うんではなしに、前々からあるわけです。
その渡部厚生大臣が、日本は唯一の被爆国である、原爆という爆風や熱線や、そして他の爆弾にはない放射能、第二次放射能障害、残留放射能障害等を含めまして、これは言うなれば、人類の死活をかけた最後の爆弾と言われておりますが、その原子爆弾によって受けた被害を、唯一の被爆国である日本としては、生存者だけでなしに死没者を含めて調査をして、国がそのデータを集計いたしまして、できるならば、原爆被災白書を政府の手でつくりたい
今おっしゃいましたように、アメリカにございます日本大使館に依頼いたしまして、そのようなことについての調査をいたしましたところ、アメリカ公文書館に原爆被災関係の資料といたしまして、原爆製造計画に関する資料を集めましたマンハッタン管区資料というものと、戦略爆撃機調査団報告の一部として、そのような関係資料が保管されておるということのようでございます。
次は、戦後処理問題の中で、戦後処理問題懇談会で取り上げたわけでもございませんし、その他の機会にも台湾兵の問題とかいろいろな問題、あるいは原爆の投下による原爆被災者の援護法問題といったようないろいろな問題がございますけれども、まさに戦後処理問題ということでは、次に取り上げます中国残留孤児問題というのはこれまた非常に大きな戦後処理問題だというふうに私は思うのであります。
さて第一は、原爆被災白書をつくれということなんです。 これはずっと各委員からも話がありましたが、昭和五十九年六月二十一円の衆議院社会労働委員会で渡部厚生大臣、あそこに今いた、本人を確認しましたけれども、ちょっといなくなったな。この人は歴代の厚生大臣と少し変わりまして素人というか非常にフレッシュな厚生大臣でありました。今、占領時代の話がございましたけれども、プレスコードの話もありました。