2009-04-09 第171回国会 参議院 法務委員会 第7号
その取調べを受けた議員の方から原敬さんが聞いて、検察というのは軍部に匹敵するぐらい怖いところだと、検察権力を放置していくと大変なことになるというふうに「原敬日記」などにその片りんが書かれております。 それから、翌年に大逆事件というのがありました。その際は、証拠調べもなく、皇室に対する罪ということでみんな有罪になっていきました。これに対しても原さんは非常に疑念を感じられました。
その取調べを受けた議員の方から原敬さんが聞いて、検察というのは軍部に匹敵するぐらい怖いところだと、検察権力を放置していくと大変なことになるというふうに「原敬日記」などにその片りんが書かれております。 それから、翌年に大逆事件というのがありました。その際は、証拠調べもなく、皇室に対する罪ということでみんな有罪になっていきました。これに対しても原さんは非常に疑念を感じられました。
それで、本格的な政党内閣ができた原内閣のときに、私は「原敬日記」というのは余り詳しくは読んでおりませんけれども、非常に苦労しておられますね、軍部とはけんかしないような。
木戸日記だとか古くは原敬日記とか、そういうもので当時の政治を国民が知るということは、日本の国のこれは一つの悲劇でございますし、将来こういう道はとるべきでないと考えますので、ちょうどタイミングもよろしゅうございますし、問題も非常に大きな問題でございますだけに、ぜひこれは急いで、アメリカの発表した外交文書に対応する部分だけでも結構ですから御発表願いたいと、再度お願いを申し上げます。
それから第二に、当時政治上の重要な地位にいた方が書かれたもの、たとえば原敬日記。原敬日記によって、山縣有朋ですかが無政府主義者をせん滅しようという気持ちを持っていたということが出ている。
それから「原敬日記」をずっと読んでみますと、「原敬日記」の中におきましても、これは山縣の陰謀だとはっきり言っております。こういうように、当時日本資本主義の発展の中で、いろんな矛盾をはらみながら、いわばその矛盾の犠牲になった。これが事件の真相ではないかというように考えておるわけでございます。
○神崎参考人 山縣の上奏につきましては、原敬日記の記述の中に、徳大寺侍従の談話とか、原敬自身の経験を通して記述があるだけで、上奏文そのものはまだ発見されていないわけでございます。 そこでひとつお願いがございますのは、実は宮内庁のほうで戦前明治天皇御記というものを編さんをいたしておりまして、その中に大逆事件について一章を設けた。