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11件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1990-03-29 第118回国会 参議院 建設委員会 第2号

既にかなり終了を見ているところの部分もございますけれども、例えば飛鳥浄原宮跡という宮跡がございますし、あるいはまた御案内飛鳥板蓋宮跡、そういった宮跡等発掘調査に関しましても目下精力的に実施はいたしてございますけれども、宮跡等につきましては、御案内のとおり遺跡の面積が何分にも広大だということもございましてなお引き続き調査を必要とする部分があると聞き及んでおるところでございます。  

大澤幸夫

1980-05-08 第91回国会 参議院 建設委員会 第12号

さらに、大化の改新の舞台になったと言われております飛鳥板蓋宮の跡と伝えられる遺跡がございますし、それからまた飛鳥浄原宮に関係いたします飛鳥浄御原の推定地ではないかと言われます飛鳥水落遺跡あるいは飛鳥稲淵宮殿など、ちょうど律令国家形成期に関係する宮殿寺院跡あるいは古墳というようなものがこの地区に濃厚に存在しているのが特徴でございます。

山中昌裕

1980-04-24 第91回国会 参議院 建設委員会 第11号

説明員山中昌裕君) 飛鳥地域におきます文化財として後世にまで史跡に指定して残す、こういう必要がある重要な遺跡については国と県と村が協力して調査しておりますが、現在までのところ、大きなものを例に挙げて申しますと、国の研究所学術調査いたしましたのは、飛鳥浄原宮跡と推定されております土地とか、あるいは大官大寺の跡とか十四の遺跡がございます。

山中昌裕

1980-04-22 第91回国会 参議院 建設委員会 第10号

この点につきましても、私は、なおそこにかつてありましたいろいろの建築物、そういうものには国史記載と該当して考えるという一つの道順がございますが、ただいまのところでは、私たちは飛鳥板蓋宮とか浄御原宮とかいうふうな国史記載と対照しながら考えておりますけれども、なお、これは断定をいたしますには慎重な考慮を要すると思います。  飛鳥調査は、いま飛鳥地域全体にわたってまず発掘調査を進めております。

末永雅雄

1980-04-09 第91回国会 衆議院 建設委員会 第11号

現在までのところ、明日香村に関係するもので申し上げますと、たとえば高松塚古墳とか石舞台古墳川原寺跡飛鳥寺跡大官大寺跡飛鳥板蓋宮と伝えられる宮跡、それから、飛鳥浄原宮跡推定地の一部ではないかと言われている飛鳥水落遺跡とか飛鳥稲淵宮殿など十四件の相当重要な遺跡が、中には部分的でございますけれども出てきておりまして、これらは国の史跡に指定され、そのうち高松塚古墳石舞台古墳につきましては、特別史跡

山中昌裕

1980-04-02 第91回国会 衆議院 建設委員会 第9号

特に昭和四十五年の閣議決定以来、飛鳥地区に重点を注いでまいりまして、たとえば奈良国立文化財研究所学術調査として申しますと、飛鳥浄原宮跡の推定地というものを調査し、あるいは四十八年以来、最も古い四大官寺一つであります大官大寺調査、こういった十四の遺跡について今日まで調査を続けてきております。

山中昌裕

1980-04-02 第91回国会 衆議院 建設委員会 第9号

現にたとえば伝承浄原宮跡で家を建てようと思った人が予算二千万円ぐらいで建てようと思ったのが、なかなかに許可がおりない。結局は明日香村の旧役場跡代替地を見つけてもらって、そこへ移った。家はでき上がりましたけれども、この間にずいぶん日がたちまして二千万の予算の家が三千万かかった。こういう現実的な損害を生じております。

吉田之久

1977-03-14 第80回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第3号

明日香村は飛鳥時代の政治・文化の中心であった飛鳥諸京・飛鳥板蓋宮飛鳥川原宮飛鳥岡本宮飛鳥浄原宮などの置かれたところであります。欽明・天武・持統・文武の天皇陵や石舞台高松塚などの古墳をはじめ、飛鳥寺川原寺橘寺大宮大寺など多くの寺院史跡埋蔵文化財がのこされ、また万葉の飛鳥川・雷の丘・南渕山なども、むかしのままの姿で、古代のいぶきを伝えています。」  

吉田之久

1973-02-28 第71回国会 衆議院 建設委員会 第3号

歴史的に見ますと、先ほどあげました早稲田大学の「二十一世紀日本」におけるレポートでは、日本はまず耶馬台国といわれたころから、九州から始まりまして、飛鳥浄原宮、藤原宮平城宮あるいは難波大隅宮平安宮志賀大津宮といったところは大体十世紀までの首都でありまして、大体近畿地方中心にしておった。

村田敬次郎

1971-05-18 第65回国会 衆議院 文教委員会文化財保護に関する小委員会 第1号

それからまた、その後この雷の丘のすぐそばで、飛鳥浄原宮と書いたところでつい最近、本年に入りましてから宅地造成が行なわれました。それの事前の調査をいたしましたところ、そこからもやはり掘っ立て柱の建物が出てまいりました。それから和銅くらいの鬼がわらと、それから軒を飾ったかわら類が出てまいりました。

坪井清足

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