1985-12-06 第103回国会 衆議院 外務委員会 第3号
もちろん、これは判決でも指摘されておりますように、一九四五年に原子爆弾が使われた時点におきまして、原子爆弾というものは初めてそこでできたわけですから、原子爆弾そのものを対象にした条約というものがなかったのは当然であるから、そのことをもって直ちに、したがって原子爆弾が合法であったということ空言うことができないのはそのとおりでございます。
もちろん、これは判決でも指摘されておりますように、一九四五年に原子爆弾が使われた時点におきまして、原子爆弾というものは初めてそこでできたわけですから、原子爆弾そのものを対象にした条約というものがなかったのは当然であるから、そのことをもって直ちに、したがって原子爆弾が合法であったということ空言うことができないのはそのとおりでございます。
ただ、小型の戦術核、戦場核と申しますが、その爆発力は、原子爆弾そのものの原理から言ってもそうなんですけれども、通常の原子爆弾をつくりますとほぼ自動的に二十キロトン程度の爆発力になってしまいます。二十キロトンより下げるためには、逆に何かの手段、方法が要るわけであります。二十キロトンというのは、概略でありますが、一九四五年に広島、長崎に投下されたと同じだけの爆発力であります。
ただ、やはりこういった問題は、いろんな角度からの議論があると思うのでございますけれども、まず原爆被爆の場合に、あの原子爆弾そのものが違法なのか、あるいはああいった広島、長崎のような大都市を一挙に壊滅するということが違法なのか、二つの面があろうかと思うのでございます。
そういうふう、に、岸総理は日本を原水爆の基地にしないというのであれば、やはり外部から見てそういうふうな印象を受けるようなもの、そのものをもやはり一掃してしまう、こういうことでなければ、私は首尾一貫しないと思うのですが、こちらだげの主観的な主張で、幾ら原子爆弾そのものと飛行機と別だと、こういうふうなことを言っても、相手はそう解釈しないと思うのですが、どうでしょう。
そこで原子爆弾そのものの使用を絶対にしないということになれば実験する必要はないのですから、根本の根を断ってしまうという努力を今後日本政府はすべきだと私は思う。それについての大事な考え方が一つあると思う。それは御承知のように本年のアイゼンハワーの年頭の一般教書においてもはっきり書いておりますように、原子のおそるべき力は、自由社会及び平和の保護者として役立つであろう、こういうことを言っているのですね。
○八木幸吉君 只今法制局長官は総合的の実力、こういうことをおつしやいましたが、それに関連して木村保安庁長官は衆議院の内閣委員会における御答弁において、例えば広島に投下された原子爆弾のごときものを仮に日本が持つているとしても、その原子爆弾そのものだけでは戦力とは言えない、原子爆弾を運ぶ軍艦も必要であろうし、又軍艦を護衛する飛行機も必要であろう、その三軍バランスのとれた能力、実力がなければ軍隊と言えないのだ
先刻申し上げましたように、原子爆弾そのものが決して近代戦遂行の能力ということは言えない。これを持ち運ぶ飛行機があり、あるいは操縦する者がある、これによつて判断すべきものであります。
○木村国務大臣 原子爆弾そのものがただちに近代戦遂行の実力組織ということは言い得ないのであります。この原子爆弾にも原子爆弾を積んで行くべき飛行機がいるでありましようし、それに付随したいろいろな部隊がいるでありましよう。つまりわれわれは総合したものを考慮に入れて、これを対象とすべきであろうと考えております。
又そうしてその被害を受けました人たちに、何か広島等の場合と考えてよりよき治療が速かになされるについての意見が、若しや治療上の技術的な立場から資料があるならば聞かしてもらいたいという考えを持つておりますので、新聞に発表になつておりまする点は、何か原子爆弾そのもの或いは何か爆弾の性能そのものをというようにとれる点がありまするが、そういう考えじやなしに、治療上の点を中心にして実は考えておりますることは私ども
世界で今大きい問題は原子爆弾そのものを問題としているのであります。今の日本で問題としているのもそうなんです。現実の問題としまして原爆があるかどうかということが問題なんです。これを使うかどうかということは、あるということは同時に使うという行為を前提としてこれはあるので、だからこれは問題になつているのです。つまりこれは一体先ほどから言われているけれども單に置かれている武器などということはあり得ない。
そういう形でこれは原子爆弾そのものがこの際問題になつているのです。そうしますと、どうしてもこれは水かけ論になるかも知れんですけれども、先ほどの説明は私は了承することができないと思う。原子爆弾だけあつてこれを使わなければ軍備じやないのだ、戰力じやないのだ、こういうことは成り立たんと思うのです、現実論としてですよ。