1998-04-01 第142回国会 衆議院 科学技術委員会 第5号
次に、昨年問題となったウラン廃棄物のずさんな管理については、動燃の前身である原子燃料公社時代の廃棄物であったと聞いています。今回の改革により、動燃は新法人に改組され再出発することになりますが、ややもすると、昔の業務に関する負の遺産については自分の問題という意識が薄れがちになってしまうのであります。
次に、昨年問題となったウラン廃棄物のずさんな管理については、動燃の前身である原子燃料公社時代の廃棄物であったと聞いています。今回の改革により、動燃は新法人に改組され再出発することになりますが、ややもすると、昔の業務に関する負の遺産については自分の問題という意識が薄れがちになってしまうのであります。
東海事業所の本施設は、昭和四十二年から四十六年にかけて建設された貯蔵施設で、原子燃料公社時代のウラン鉱石の製錬等で発生したウラン系の不燃性廃棄物を保管しておりました。 今般、廃棄物を詰めたドラム缶が滞留水により腐食するなど、極めて不適切な管理状態にあったこと、またこれに関連した不適切な予算に関する問題が明らかになりました。
ウラン廃棄物屋外貯蔵ピットの経緯でございますが、本施設は、原子燃料公社時代のウラン鉱石の製錬等で発生した不燃性の廃棄物を保管する目的で設置された設備でございます。地下に掘削したピットと呼ばれるコンクリート製の箱形の貯蔵施設であり、昭和四十二年から四十六年にかけて建設され、当時のウラン系の廃棄物が保管されました。
中身は、当初、原子燃料公社時代に製錬を行っておりましたときの廃棄物が収納されているというふうに理解しておりますが、こういった施設につきましては、許可を取得する際に施設検査等の義務づけがございません。これは、事業者が技術基準を守り、それからその施設の管理につきましては、保安規定を定めて約束を守るといった前提で施設の管理がされるものでございます。
先ほど来御説明させていただいておりますように、当該施設は、原子燃料公社時代におきますウランの製錬等で発生いたしました固体の放射性廃棄物、それから同施設を解体いたしましたときの解体廃棄物等々を保管するために、昭和四十二年から四十六年にかけて建設されたものでございます。
動燃の前身の原子燃料公社時代に、原子燃料公社法にすでに再処理というのが使命の一つとして書かれております。そこで、原子燃料公社ができた直後から再処理の基本計画にかかりました。その当時、私自身も企画室の一係員ということで参画しておりましたが、具体的に申し上げますと、昭和三十三年から三十五年ぐらいがこの基本計画の時期でございました。そのころに、再処理というものをある仕事として考えなければならぬ。
人形峠地区のウラン鉱床探査は三一年通産省工業技術院地質調査所による発見以来、原子燃料公社時代から現在に至るまで新鉱体の確認につとめ、峠、高清水等八鉱体を獲得し、現在ウラン鉱石埋蔵量五〇〇万トン(平均品位〇・○五%)が把握されている。探鉱事業は当地区では終了し、岐阜県東濃地区と山口県豊田地区にその主力が注がれている。