2017-04-10 第193回国会 衆議院 決算行政監視委員会第三分科会 第1号
原子力につきましては、二十世紀初頭に日本の長岡半太郎博士やあるいはボーア博士などによって相次いで原子模型が提唱をされて、原子核研究が本格的に進められてきた。それ以降、さまざまな研究や民生利用についての取り組みが進められてきたというふうに認識をしております。
原子力につきましては、二十世紀初頭に日本の長岡半太郎博士やあるいはボーア博士などによって相次いで原子模型が提唱をされて、原子核研究が本格的に進められてきた。それ以降、さまざまな研究や民生利用についての取り組みが進められてきたというふうに認識をしております。
核エネルギーについてでありますけれども、これは、二十世紀初頭に長岡半太郎博士やボーア博士によって相次いで原子模型が提唱され、原子核研究が本格的に進められて以降、研究者の真理への飽くなき探求心から、さまざまな原子核や核エネルギーに関する研究が進められてきたと認識しております。
一九〇四年に、これもまた驚くべきことでありますが、日本の、日本の長岡半太郎先生が、当時の大問題であった原子の構造は一体どうなっているんだろうということを考え、土星型原子模型という考えに到着いたします。
しかし、本来、この放射性同位元素というものの扱い、これも私も実は化学を、授業を教えたときに、思い起こすんだけれども、同位元素というものをどうやって教えたらいいかというのを随分苦労したこともあるし、午前中の長岡先生の原子模型の話でも、これ漫画みたいにかいて、どうやって教えていいか随分苦労してやった記憶があるんですけれどもね。
日本人には創造性がないと言う人もいますが、過去においても、例えば、鈴木梅太郎氏がビタミンB1を発見したり長岡半太郎氏が原子模型を発表したりしたように、日本人の手による幾つかの世界的業績もあります。今後は、特にこのようなすぐれた資質が埋もれることなく十分発揮されるような人材育成、研究所における研究体制等の環境条件の整術が重要だと思います。
○武谷参考人 日本でこういうすばらしい研究が突如としてできたということではないのでございまして、その前に長岡先生の原子模型、石原純先生のいろんなすぐれた理論物理学の研究、それからさつき言つた仁科先生のクライン仁科方式という有名な業績がございまして、これは教授ボアのところでおやりになりました。そういう大体世界的水準の研究が、ずつとさきの諸先生方によつて行われました。