1947-09-23 第1回国会 衆議院 電気委員会 第9号
かような點におきましては、日本が單に軍需産業の復活のごとき誤解を招くような十年計畫であるとか、あるいはその他の計畫によりまして、誤解を招いておるというようなことも聞いておりますが、そうでなしに、すでに今日原子力時代にはいりまして、そうして日本におけるところの電源の開發がどれほど世界の平和を脅かすことになるであろうか、私どもは今日武力なき國家としてのはつきりした憲法をもつております。
かような點におきましては、日本が單に軍需産業の復活のごとき誤解を招くような十年計畫であるとか、あるいはその他の計畫によりまして、誤解を招いておるというようなことも聞いておりますが、そうでなしに、すでに今日原子力時代にはいりまして、そうして日本におけるところの電源の開發がどれほど世界の平和を脅かすことになるであろうか、私どもは今日武力なき國家としてのはつきりした憲法をもつております。
と申しますのは、長崎と広島でございますが、われわれとしては、まことに殘念なことでありますけれども、第二次世界大戰の原子力の威力を見るために、諸外國の人たちが相當多數視察に來るであろうと考えております。
日本が今後航空科學その他原子力のような尖端的な最高水準をいくべき科學を禁止せられて、はたして世界の科學についていけるかという件でございますが、この問題は、私ども終戦後一同心を悩ましておるところでございます。全般的には禁止せられておりますけれども、個々の問題につきましては、許される面も相當にあるようであります。従いまして最初非常に悲観した程度でもあるまいという豫想をもつようになりました。
それは即ち原子力の発見であります。(「簡單」と呼ぶ者あり)新しい世紀を作らんとするところの原子力の発見であります。どうぞ片山君が、そうした原子力の発見こそは新らしき世紀を作りつつあり、本当の平和主義を世界に実現するところのものは原子力である。