1976-05-11 第77回国会 衆議院 大蔵委員会 第11号
もちろんその過程に国内の経済財政政策に厘毫の誤りがなかったと強弁するわけではございませんけれども、いずれにいたしましてもそういう大きな変動に処しまして、私ども、まずこの経済を維持しながら、何としても雇用の安定を図らなければならぬ、国民生活上、支障を起こさないような歳出の充足を図らなければいかぬということに努めてまいったわけでございまするので、私ども、財政危機に処する責任には及ばずながらこたえてまいったつもりでございます
もちろんその過程に国内の経済財政政策に厘毫の誤りがなかったと強弁するわけではございませんけれども、いずれにいたしましてもそういう大きな変動に処しまして、私ども、まずこの経済を維持しながら、何としても雇用の安定を図らなければならぬ、国民生活上、支障を起こさないような歳出の充足を図らなければいかぬということに努めてまいったわけでございまするので、私ども、財政危機に処する責任には及ばずながらこたえてまいったつもりでございます
それから第二の点でございますけれども、予算に計上されていない、あるいは予算によって、予算の形式によって政府に与えられていない財源を、われわれがむやみに使うということは厘毫たりとも許されないと思うのでございまして、いま予算書の精細な説明ができていないようでございますが、私はそんなことは万々ないと思いますので、それは十分検討いたしまして御報告いたします。
厘毫のむだも許さるべきではありません。国民一人当たりの収入が、世界で二十番目、はるかに後進国だと考えていた国々の国民よりもはるかに収入が少ないというわが国民の担税力の小ささにかんがみまして、診療の実際は、技術としては最高のものであっても、経済的には最低の線でがまんすることとすべきではないか。抜本対策だから、などと唱えて、ぜいたくな診療給付を企てるべきではない。
その点非常に慎んできたつもりでございまして、もしそういう厘毫たりとも誤解がございますならば、それはひとつお解きをいただきたいと思うのであります。
○田中国務大臣 一般会計、特別会計、財政投融資と、こうずっと三つ並んでおりますこの制度の中で、一般会計は議決に仰がなければ厘毫の金も支出はできない。これは当然税金でありますからそのとおりであります。特別会計は一般会計よりも多少弾力性がある。また、財政でまかなう三公社五現業に対してはもっと弾力性がある。政府関係機関、政府機関で特殊会社その他、公団はもう少し弾力性がある。
どうも外務大臣も答えられないようにむずかしい御質問をいただいて、恐縮しておるわけでございますが、私は、先ほども申し上げたとおり、日本の財政をあずかる立場でございますので、国民の税金に基づく支払いに対しては、厘毫といえども配慮しなければならない立場にあるものであります。
政府はそれについて厘毫の逡巡もいたしておらないつもりでございます。ただ問題は、安全性につきまして若干の不安がございますので、アメリカの理解を得まして、いまその解明に努めておるわけでございまして、私どもが国民に対して責任が持てるという心証を得られれば、この問題の最終処理をいたすことは当然だと考えております。(拍手) —————————————
これはサブロックに限りませんで、いかなる兵器が開発されましても、そういうところの核兵器の持ち込みは認めないのだということをはっきり申し上げておるわけでありまして、ここには厘毫の疑惑もないわけでございます。
厳粛に締約いたしましたことにつきましては、相互に百パーセントの信頼をおいて、厘毫の不信がないように外交は展開すべきである、国民の利益のために私はそう思います。
ただいまの日米関係には私は厘毫の不信もないと思うのでございます。今後もそういうことがあっちゃならないと思うわけでございます。問題は、これからの日米関係をより一そうりっぱなものに仕上げていくというときに、御指摘のようなことが過去においてずっと以前にあったということがかりにありとしても、その旧悪に言及するというようなことは、信頼関係を深めてまいる上から、言っても望ましいことじゃないと私は考えます。
そうでなければ、突際の徴税上一銭厘毫の目こぼれの余地もないというような地方の状態を考えてみるのと、東京や大阪や県庁の所在地における企業との間には、事実アンバランスがあるだろうと思う。こういう問題に取り組みなさい。
それから第二の問題は、健全財政を誇るということでありましたが、私は誇ってはおりませんが、健全財政で貫いていかなければならないということはもう当然でありますし、国民の税金を預かっている財政の責任者としては、いやしくも厘毫の金でも無為に使ってはならないという基本的な考えは、あなたが今仰せられた通り、基本といたしております。
予算外の経費として必要最少限度にいたすことは、当然の責務として最然を尽すわけでございますが、なお私どものやることでございますので、たまたまある程度の見込み違いというようなことがございまして、現実に先ほど申したように行政の責任をとりまして、使用に当りましても、でき得る限り的確な支出をはかって参り、時期的にも、金額的にもまた相手方へ渡る個々の場合におきましても、予備費制度の精神から考えまして、いやしくも厘毫
昨秋群馬県においては数日間日劇を買い切つて、大々的な観光宣伝をやり、伊能知事はその先頭に立つて大活動をやつておりますし、信州においても、山嶽渓谷等の天恵を利用して、厘毫の微といえども見のがすことなく、その経済収入を目ざして、戦後の復興発展に向つて血みどろの奮闘をしていることは、各位の現認せられている通りであろうと思います。
そのかわりに、これからは厘毫の仮借もしてはならぬ、こういう考えを個人的な意見としては持つておる。これなどは職員の給與に充当したというのですから、まだかわいいところがあるかもしれませんが、飲み食いした金まで、伝票を切りかえてやつておる。これが一つの会社ですと、すぐ背任横領でぶち込まれておる。なぜ官吏なるがゆえにやらないか。
以上は積雪寒冷地方における個人生活費の莫大な増加の実際を若干説明したに過ぎませんが、これらの生活損耗が来る年も来る年も、過去未来永劫逃れ難き被害であるに拘わらず、個人所得の算定上厘毫の考慮も拂われておらないのであります。即ち十万円の所得者は飽くまでも十万円の所得者として、暖国も雪国も全く区別されておらないのであります。