1968-05-22 第58回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第15号
この炭鉱の三川鉱におきまして、四十三年の五月十七日の二十三時三十分ごろに火災が発生したのでございますが、非常に奥のほうでございまして、本層の三十六卸右六片原動機座のあります付近で火災が発生したわけでございます。
この炭鉱の三川鉱におきまして、四十三年の五月十七日の二十三時三十分ごろに火災が発生したのでございますが、非常に奥のほうでございまして、本層の三十六卸右六片原動機座のあります付近で火災が発生したわけでございます。
事故の発生は、三月十六日午前一時半ごろ第二巻卸右三半片コンプレッサー室(坑口より約九百三十メートルの地点)で火災が起こり、これを三月十五日乙方入坑の鉱山労務者が発見したのであります。この報告を受けた瓜生所長は状況を判断し、入坑中の作業員全員を坑外に退避させる一方、二時ごろから、所長以下会社の技術首脳陣が相次いで消火のため入坑し、消火作業に当ったようであります。
これは、大之浦炭鉱新菅牟田坑西卸右一片三尺払の略図でございます。ここで変災を起したのでございますが、この位置は、坑口から約三千メートルの距離でございます。二千九百八十メートルの距離でございます。変災を起しましたのは、昭和三十二年十一月十六日五時三十分ごろでございます。罹災しました方々は十二名でございまして、そのうち九名を殉職させております。その模様を御説明申し上げます。
○説明員(小岩井康朔君) ただいまの御質問で、大の浦炭鉱あるいは東中鶴、最近起りました炭鉱の災害が防げるかどうかというお話しでございますが、大の浦炭鉱は御承知のように、新管牟田炭鉱の西卸右一片の三尺払で、局部扇風機のスイッチの故障を、修理中誤って大爆発を起した災害であります。