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105件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2006-06-05 第164回国会 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第9号

ここで再び登場するのが鳩山一郎という人でございまして、ここで何と言っているかというと、鳩山一郎は、総理大臣として、長期にわたる占領政治によって、我ら同胞は、とかく長いものに巻かれろ、権力には盲従せよとの観念に支配されて虚脱に陥り、民族自主性を喪失したのではないかと思われる節が少なくないのであります。これを全面的に是正して、真に大国民たるの自信を取り戻すこと。

鳩山邦夫

2006-02-16 第164回国会 衆議院 予算委員会 第13号

額賀国務大臣 私は、沖縄県民皆さん方が、第二次世界大戦日本における最大激戦地で、しかもなおかつ、その後米軍占領政治が展開をしていて、沖縄県がある意味では占領から独立してまだ三十数年であります。そういう中で大変負担をかけてきていると思っております。そういう中で、沖縄県民の上に立って日本の安全が守られているということについて、敬意と感謝を持っております。  

額賀福志郎

1999-03-01 第145回国会 参議院 予算委員会 第7号

しかし日本国憲法は、占領政治のもとにおいて、連合国司令官の指令に基づいてつくられたものであって、日本国民自由意志によるものとは言われない、我々はこの際、真剣に自主憲法の実現に挺身しなければならぬ、このための努力こそ政治に携わる者の最大の責務であると信ずる。趣意書にこう言っている。明らかにそうだというように自民党は憲法改正を志向していることは明白です。  

橋本敦

1977-07-27 第81回国会 衆議院 本会議 第1号

顧みますと私が本院議員に当選しましたのは昭和二十四年一月、戦後の困窮いまだ癒えず、占領政治下に在つて日本国の行方も定まらぬ激動期でありました。終戦後満洲より身一つで引揚げた私は祖国再建の至情に燃えて敢然として政界に身を投じましたが、地位も名誉も金もない私にとつては、文字通りいばらの道でした。

保利茂

1973-07-17 第71回国会 参議院 内閣委員会 第22号

国務大臣山中貞則君) 私は、アメリカ沖繩県日本の一県として日本に返そうという政治的な最高首脳間の取りきめがあった際に、いろいろと軍の内部において議論があったことも知っておりますし、またその際に、しかし、それは至上命題であって、これ以上基地機能に固執をして、占領政治に準ずるような政治を、異民族支配を続けることのメリット、デメリットと、あるいは日本に返して、そして基地機能が減殺をされても、ある程度

山中貞則

1970-12-24 第64回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第5号

マッカーサー元帥でありましたか、どんな善政を施しても、占領政治というものは三年が限度である、というように言ったという記憶がありますが、すでに沖繩は、復帰の時点までとらえれば、その十倍近い歳月を軍政のもとに送るわけでございますので、かりに善政を施していたとしても、やはり限度をこえた長い期間であるということについては、私も大体昨日来御質問をされる議員の方々と意見の相違はございませんし、そのことを十分くみ

山中貞則

1970-12-23 第64回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 閉会後第1号

国務大臣山中貞則君) マッカーサー元帥でありましたか、どんな善政を施しても占領政治というものは三年が限度だということを、みずから省みて言ったということを記憶しておりますが、そのような、三年どころか三十年に近い年月というものが沖繩において軍政下にあるということは、私は、その軍政下に置かれた人間としての耐えがたい苦しみというものはだれよりもわかる気がいたしますが、私も、立場を離れて個人としてわっと叫

山中貞則

1970-03-05 第63回国会 衆議院 予算委員会 第10号

それは、一言で言えば、占領政治当時その衝に当ったのがいま商務省でこのことを推進する旗頭になっているというような話も聞きますが、日本という国は非常に御しやすい国だ、つまり政府はオールマイテイだ、特に内閣総理大臣が声をかければ、これはもう政府はもちろん業界も必ず言うことを聞くのだ、昔からそういう訓練を受けた国民なんで、なんだかんだ言っても、いざとなればまとまるのだ、こういうふうな根本的な誤信があるのじゃないか

足立篤郎

1968-05-21 第58回国会 参議院 内閣委員会 第19号

特にアメリカがああして占領政治なんと言っておりますけれども、実際は植民地行政だったのです。それですから、そのような植民地行政というものをやわらかく国民に訴えるためには、こういう形態が非常に都合がいいという考えで、私はこういうものをやたらにつくらせるような方針をとったのじゃないだろうか。

木村武雄

1968-05-09 第58回国会 衆議院 内閣委員会 第21号

それから占領政治、植民地行政のためにそれがもっと強化されておった、そういうことでありますから、この際はそういうものを取り上げて大胆に私は処理してみたい。いまだに戦争気分戦争行政で、いまだに植民地気分植民地行政というものを温存しておくべきものではないと私は考えております。そういう点でも早くこれを解決してみたい、こういう所信でいま行政改革に取り組んでおります。      ————◇—————

木村武雄

1968-04-04 第58回国会 衆議院 内閣委員会 第9号

しかし、あの当時は占領政治時代でありましたから、大胆に言いますると、植民地行政時代でありましたから、アメリカの、連合国の武力を背景にしてどのような困難でもこれを押さえつけて切り開くことができたのだと思いまするが、日本独立国となってから見るべき行政改革というものはなかったようであります。  しかし、行政改革をやった国とやらない国とではまるっきり違うのじゃないだろろうか。

木村武雄

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