2005-12-06 第163回国会 参議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 閉会後第1号
また、国民保護法という法律を作るときに、少なくとも、四月の沖縄の、米軍の上陸に当たって、その地域、いわゆる、あっという間にその地域が、普天間周辺が占領、接収されていったときにはそこに住民が、三千五、六百人おられた方々が強制的にという状況になった等々、いわゆる国民保護法というものが当時ありませんでしたのでかなり悲惨な形になったというようなことは私どもの世代の共通のある程度理解なんだと思っておりますが。