1981-03-31 第94回国会 参議院 文教委員会 第4号
そして教育勅語の第二段の「父母二孝二」からの徳目が、 父母二孝二、兄弟二友二、夫婦相和シ、朋友相信シ、恭倹己レヲ持シ、博愛衆二及ホシ、学ヲ修メ業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ、徳器ヲ成就シ、進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ、常二国憲ヲ重シ国法二遵ヒ、一旦緩急アレハ義勇公二奉シ、 というところまでがあって、それで最後に「朕惟フニ」の教育勅語が書いてあって、そしてここに教育勅語の口語文訳、あるいは教育勅語とはこういうものですよということがここに
そして教育勅語の第二段の「父母二孝二」からの徳目が、 父母二孝二、兄弟二友二、夫婦相和シ、朋友相信シ、恭倹己レヲ持シ、博愛衆二及ホシ、学ヲ修メ業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ、徳器ヲ成就シ、進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ、常二国憲ヲ重シ国法二遵ヒ、一旦緩急アレハ義勇公二奉シ、 というところまでがあって、それで最後に「朕惟フニ」の教育勅語が書いてあって、そしてここに教育勅語の口語文訳、あるいは教育勅語とはこういうものですよということがここに
「父兄ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆二及ホシ」、今日におきましても私が言っておる協調と連帯、あの精神を非常にきれいな言葉で表現していると思いますので、人の道に関する部分につきまして、これを私は否定するという考え方は持っておりませんです。 それから、教育につきましては私はしばしば申し上げておるわけです。
「父母二孝二兄弟二友二」……(「夫婦相和シ」と呼ぶ者あり)「夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己ヲ持シ博愛衆二及ホシ学を修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ」、これどれ一つとして現憲法の中で当然お互いが守っていかなければならないことじゃありませんか。こういう部面はもう一ぺん、こういうことは何もこんな固い文章じゃなくていいですよ。
そうしてしかもこの教育勅語は「義勇公二奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン」こういうように進められてあるのでありまして、あなたが徳目と言われるものは、すなわち兄弟二友二夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆二及ホシ」こういうことがあるじやないか、これがいいんだ、こうおつしやるのだろうと思うのでありますが、このこと自体は教育勅語
申し上げれば「夫婦相和シ朋友相信シ博愛衆二及ホシ」ということ、これはいつの時代でもやはりとうとぶべき道徳律である。こう私は申し上げたのであります。お説のように、世界的の考え、すなわち博愛とか何とかいうような意味をもう少し押し進めて行く。
あるいは「博愛衆二及ホシ」ということを骨の髄まで知つている人たちが、外地に行つてはちよつとも博愛衆に及ぼさない。そういう点を見ても、道徳基準を覚えるということだけでは、道徳というものは生きた力にならない。道徳は常に実践を媒介にしてのみ力を持つておるものであると自分は信じます。 それから第二のいわゆる修身科に対しては、これは従来の修身科に非常に弊害があつた。