2006-05-26 第164回国会 衆議院 教育基本法に関する特別委員会 第4号
それ以外の、「兄弟ニ友」、兄弟は友人のように仲よくしなさい、「夫婦相和シ」、夫婦は仲よくしなさい、「朋友相信シ」、友達は信じ合えるような友達関係になりなさい、「博愛衆ニ及ホシ」等々、極めて家族主義的、博愛主義的であり、「恭倹己レヲ持シ」と慎みや謙虚さを教えて、「国憲ヲ重シ、国法ニ遵ヒ」として、専制とか個人支配を排しているわけでございます。
それ以外の、「兄弟ニ友」、兄弟は友人のように仲よくしなさい、「夫婦相和シ」、夫婦は仲よくしなさい、「朋友相信シ」、友達は信じ合えるような友達関係になりなさい、「博愛衆ニ及ホシ」等々、極めて家族主義的、博愛主義的であり、「恭倹己レヲ持シ」と慎みや謙虚さを教えて、「国憲ヲ重シ、国法ニ遵ヒ」として、専制とか個人支配を排しているわけでございます。
「爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ」ここまではいいんだと思うんですが、「天壌無窮ノ皇運」と書いてあるんです。
私は、ちょうど江戸時代から明治になるときの、先ほど寺子屋の話が出ましたが、たまたま調べてみましたら、教育勅語なんて古くさいというように思うのですが、この中に、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ」というような、大臣が言う心の教育の問題がこの中に出ているのです。
「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ、恭倹己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、学ヲ修メ業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ、徳器ヲ成就シ、」大臣、ぜひひとつ、改めるべき教育基本法であるとすれば、こういう徳目はぜひこの中に継承をしておいていただきたい、こう思います。 終わります。
たとえば「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ」、こういうようなことは、いずれの時代にも必要ではなかろうか、こういう意味でありまして、教育勅語が廃棄されたことはよく存じておりますが、しかし、道徳の基本というものは、昔もいまも変わらないのじゃなかろうか、こういうふうに考えておるのでございます。
確かに「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ」というようなこと、「古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」の教えだと言われていていい面もあったのですから。私は別に教育勅語を礼賛するのじゃないけれども、教育で一番大事なのはやはり道徳なんですよ。人柄ですからね。
○内藤国務大臣 教育勅語にある共通の価値観、先ほど申しましたように、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ」というのは、これはだれが見ても私は当然の教えだと思うのです。そういう価値観があったことを私は高く評価したので、私は教育勅語復活論者じゃないから、この点は誤解のないように願 いたいと思います。
○内藤国務大臣 先ほど申しましたように、やはり「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ」というようなことはどこの国に出してもいいことだと私は思っています。
いまお話しの、「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ」「古今ニ通シテ謬ラス」「中外ニ施シテ悖ラス」と書いてあるのは、その教えそのものは間違いじゃないけれども、これは天皇制でやったからいかぬということで失効決議をされたので、一々中身のことを司令部は議論していませんでした。
あの中でも横の道徳の方が縦の道徳より多く強調されているわけですし、現在非常に無視されておりますけれども、きょうだい仲よくするとか、親を大切にするとか、友達と仲よくする――言いかえれば、「朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發」していく、そこら辺のところは日本人にわかりやすいわけですね。
「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」「博愛衆ニ及ホシ」、本当に人間のかくあるべしということをりっぱに表現しておる。あそこに盛られておる精神がこれが廃棄された、こういうふうには考えませんです。
特に教育勅語の中に 「博愛衆ニ及ホシ」なんというのはいいところじゃないかと思うのです。私は、ぜひああいう考え方でやっていきたい、かように考えます。
しかし、「父母二孝二兄弟二友二、夫婦相和シ朋友相信シ、恭倹己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ、學ヲ修メ業ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓叢シ、徳器ヲ成就シ、進テ公益ヲ廣メ」という、こういうところは、この基本原理は今日でも共通する命題であろうと、こう申し上げておるのであります。「一旦緩急」などを考えておりません。
ところが、終戦後教育勅語がなくなって、まあ母親の教科書みたいなものがなくなったようなことになってしまって、これには「恭倹己レヲ持シ」だとか、「博愛衆ニ及ホシ」とか、社会奉仕的な、そういう子供に社会連帯とかを教える非常にかっこうの教材書がなくなってしまって、どうやって子供をしつければいいかわからぬのではなかろうか。
「朋友相信シ、恭倹己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ」、これは非常に頭が社会化されてくる、たいへんにけっこうなことではないか、こういうふうに申しましたな。たいへんにけっこうなことじゃありませんか。感嘆を込めて泣きそうな顔をして言っているのじゃないです。
○三木(喜)委員 そうしますと、その演説会でおっしゃったお話は、ここに教育勅語の原文があるわけですけれども、「夫婦相和シ、朋友相信シ、恭倹己レヲ持シ、博愛衆ニ及ホシ」まで例にとってお話しになって、そして、こんなにりっぱなことがあるだろうか。——この内容としてはいまもりっぱだと思っておられるのですね。
今ごろ詭弁を弄して、あの中の「夫婦相和シ」というのはけっこうじゃないかとか、「博愛衆ニ及ホシ」はけっこうじゃないかとか、「古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」というようなことを、そういう無責任なことを教育勅語でお考えになっておるんでは私はたいへんだと思う。これはやはり教育勅語の本質はどこなんです、教育勅語が一番うたいたいところはどこなんです。
教育勅語におきまして、いわゆる社会道徳といいますか、お互いに社会的生活を営む上における必要な道徳、これも欠けておるということは私はないと思いますが、たとえば「恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ」と言われ、「公益ヲ広メ世務ヲ開キ」こういうことはやはり社会道徳というものをうたわれておる、こういうふうに思うのであります。
「平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期し」云々こういう基本法に掲げられた教育目的というものは、やはり教育勅語のうちにおきましても、「交母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦祖和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ」と言われ、わが国民の個性の個人的な人格の完成と社会生活をするための必要な徳目を掲げられておるものだと
もちろん文部大臣のおつしやつた「夫婦相和シ、朋友相信シ、」とか、「博愛衆ニ及ホシ、」とかいうようなことは、千古不磨の真理であろうと思いますが、その構成が君臣関係でできておりました。日本の国民道徳が中心であります。あの教育勅語は、御承知のように国民道徳を打ち立てようという努力から生まれた、世界道徳との関連がないのであります。私は五箇条の御誓文についてもその考えを持つております。
ただ私申しましたことはここに「父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ連ヒ」という言葉があります。これは私はどんな時代でもやはり守つて行つていいものだろうと思います。そういうことを私は申したのであります。
基準さえつくればそれで事が足るかというと、決してそういうものではなくして、たとえば従來の教育勅語のようなものであつても、教育勅語を骨の髄まで知らない日本人はないのですけれども、ただしかしそれを覚えたらばそれを実行するかというと決してそうではなくして、「博愛衆ニ及ホシ」ということ一つとつてみても、これを十分知らない日本人はありませんけれども、しかし海外に行つては必ずしも博愛衆に及ぼさなかつた場合もあるというようなふうに