2021-06-14 第204回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号
これまでの調査におきましては、部分単線化ですとか、あるいは小型車両の導入といったコストの縮減方策、そして、最新の開発プロジェクトを反映するといった需要予測の精緻化などを順次検討してきておりまして、結果といたしまして、事業効率性を評価するBバイC、費用便益比につきましては、平成二十三年度の調査で〇・三九でありましたものが、小型車両といったことも加味をした上で、令和元年度の調査では〇・七一になっています
これまでの調査におきましては、部分単線化ですとか、あるいは小型車両の導入といったコストの縮減方策、そして、最新の開発プロジェクトを反映するといった需要予測の精緻化などを順次検討してきておりまして、結果といたしまして、事業効率性を評価するBバイC、費用便益比につきましては、平成二十三年度の調査で〇・三九でありましたものが、小型車両といったことも加味をした上で、令和元年度の調査では〇・七一になっています
本邦は、さきの大戦の終わった後に一旦、単線化した形の高等教育が始まったわけでありますけれども、歴史的に見れば、明治の時代から非常に、いわゆる複線型というよりは分岐型、フォーク型と呼ばれている複線型の教育体制をとっていたわけであります。
また、日本の場合は人生が割と単線化している中にあって、もう最初からあきらめてしまうという気持ちがあると。 ですから、再チャレンジが可能な社会であるという実例をどんどんこれはつくっていくことによって、正に再チャレンジをしていこうという機運が私は生まれてくると思っています。
そしてこれまで、六・三・三制にあらわされているように、非常に単線化された教育制度、画一的な教育制度がずうっと行われてきて、今回ようやく中教審の答申に基づいて、中高一貫ということで、特に中学、高校のその節目に受験をなくそう、こういう試み、それが学校の現場でゆとりを生み、また、いろいろな多様なコースを選択できる、こういうことになっておるわけであります。
このNPCの報告書をつぶさに見てみると、あなたは答弁をはばかったんだけれども、この単線化と複線化の差額十二億八千万円をどう補ったか書いてあるんだ、あなた。あなたも英語は堪能なはずだからね、横を縦に直して読んでみなさい。これにはPH-P19という文書、つまりカガヤンバレー農村電化事業によって補ったと、こう書いてある。
同時に、この六年制中等学校という、一つの複線化ですから、戦後教育の単線化の問題と比較をしますと複線が出てくるわけです。飛び級が出てくるということになってきますと、これは戦後教育に重大な影響を与える中身になってくるわけでして、それが仮に効果があるのか、あるいは一層受験地獄を激化させるのかというような功罪の面についての論議なども、私は当然国会でもやるべき問題だと思うわけです。
いまの皆さんがおっしゃるものと、高専を全部いろいろな大学にしてしまう、三年時は付属高校にする、その方がいまの学校教育体系の単線化ができますね。
結局山岳等でございますので、複線化するのに非常に金もかかるし、非常に工事的にもたいへんだというようなところにつきましては、ある区間は単線化するけれども、それに近傍するところを複線化して、総体的に輸送力増強の実をあげていくというような、実際の工事の計画になっておるわけでございます。
この法律でいま私がここで聞いておりますことは、高専の新設がありますが、そこで六・三・三・四というあの新しい制度は単線化というのですか、学校体系の単一化ということが最大の特徴であるかもしれません。その中において高専をつくったというのは、いわば後期中等教育と前期高等教育とを結合したという、しかもそれがいま五十に満たない学校ですかね。その範囲にしかないものですから。
○木島委員 いま教育制度の改革全体の問題に発展しても、これはきょうの議題に沿いませんからなんですけれども、ただしかし、いま欧米でも総体的に言ったらやはり単線化の方向に向いておるのじゃないですか。
さらに近距離におきまして需要の少ないところ等においては単線化するとか、あるいは用地買収費が比較的高額なところにおいてはトンネル部分を大量に取り入れるとか、山陽新幹線におきましてはトンネル部分が多いわけでございますが、そういった点、全国新幹線網におきましても配慮を願って、そしてこの新幹線網が即日本のそういった経済の発展のために結びついていくように取り計らっていただきたい、かように思うわけですが、その点
しかしながら現在その状態を静止的にとらえるのではなくて、過去からの流れというものを考えてみますと、それはやはり教育体系の単線化という方向へ向かっているということは言えるのじゃないか、そういうふうに思います。それはたとえが悪くて恐縮なんですが、たとえば都市計画をする場合にこういうふうなものが理想的だといっても、実際にはなかなかそういうふうにいかないわけです。