2006-12-07 第165回国会 参議院 教育基本法に関する特別委員会 第9号
私も既に現役を退いておりますが、七年前まで山梨県の甲府南高等学校という現場におりまして、一般の教諭、それから、しばらく置いて校長をそこでさせていただいたわけですが、山梨県でも甲府南高校というのは大変いわゆる進学校でございました。
私も既に現役を退いておりますが、七年前まで山梨県の甲府南高等学校という現場におりまして、一般の教諭、それから、しばらく置いて校長をそこでさせていただいたわけですが、山梨県でも甲府南高校というのは大変いわゆる進学校でございました。
次に、広島県立湯来南高等学校を訪問いたしました。 同校は、広島市近郊の山間部にある佐伯郡湯来町にあり、各学年二学級、全校生徒百五十名の小規模校であります。これまで学習面でつまずいた生徒や不登校などの問題を抱えた生徒も多くおられたということですが、学校、家庭、地域の御努力により多くの改善が見られるようになったとの説明を受けました。
これは県立の松江南高等学校宍道分校という学校です。この学校は、木造で、明治三十八年十二月の建築で、築後九十二年たっております。しかもこれは、高等学校なんですが、昭和三十六年九月に旧宍道町立宍道小学校の校舎を借り受けて使用しております。小学校の校舎を高校として使っているということなんですね。
御参考までに、大島高等学校につきましては都立の紅葉川高等学校に、それから大島南高等学校につきましては、旧新宿区立淀橋第二小学校に学校を臨時に移しまして教育活動を行っているところでございます。 文部省といたしましては、引き続き児童生徒に係る教育活動の実施状況の把握に努めまして、必要な指導助言や支援態勢を講じてまいりたいと思っているわけでございます。
それから高等学校につきましては、大島高等学校については都立紅葉川高等学校において、それから大島南高等学校につきましては旧新宿区立淀橋第二小学校において教育活動を開始するという方向で、これは二十七日以降というふうな予定になっておるわけでございます。 以上が就学対策でございます。
大島には大島高等学校と大島南高等学校があるわけでございますけれども、それぞれ臨時に教育を行う施設を確保いたしまして高等学校の教育活動を続けることにいたしておるわけでございます。 それから、教科書、教材、文房具等につきましても、これが必要な子供たちに渡るように現在所要の指導措置を講じておるところでございまして、ほぼ体制が整っているところでございます。
既に、二十七日以降大島高等学校につきましては都立の紅葉川高等学校、大島南高等学校につきましては旧新宿区立の淀橋第二小学校を教育活動の場として予定しておるという報告を受けておるわけでございます。 なお、今御指摘ございました進学の問題でございますが、東京都教育委員会におきましては、目下全力を挙げてこの就学対策ということで緊急措置を講じているところであるわけでございます。
次に、岩手の自然に恵まれた広大な校地に、東北地方では初めて体育科を設置し、最新の設備を備えた体育館等が立ち並ぶ県立盛岡南高等学校を訪ねました。大友晋二校長から本校の概況説明を受けた後、三つの体育館での生徒諸君の若さあふれる体育の授業を参観いたしました。創立四年目の若い学校でありながら、本年、県の高校総合体育大会において男子陸上競技で総合優勝をしたのを初め、数々の成果を上げるまでになっております。
次に県庁を辞した私どもは、進学指導とスポーツ等の部活動との両立て注目されています県立新潟南高等学校を訪問いたしました。校長から同校の教育の特色等についての説明を受けた後、校内施設、特にボクシング部の格技場や体育館等を中心に見学いたしました。 続いて明治六年創立の古い歴史を持つ新潟市立新潟小学校を訪問しました。
これは防衛庁長官にお伺いしますが、たとえば青森県の弘前南高等学校の例を挙げますと、十月一日から開始されなければならぬのですが、昨年の九月ごろより弘前南高等学校におきましては、二百十三名の男の生徒のうち四十五名に対して公園、喫茶店で、特にその中で二度、三度家庭に押しかけて広報官、自衛隊員から勧誘を受け、必要だからということで写真も撮られる。
地元の北条小学校、北条幼稚園、安房南高等学校、それから館山高等学校がその地域に移転しようとしているわけであります。それから那古小学校。このように、数え上げだけでも大変な文教地区のところが、予定路線となっているわけであります。県の方と連絡をとりながらの、あるいは建設省の方だけでのプランなのか。地元の方から出てきた計画路線なのか。
○公述人(山口末一君) 私はこの四月まで札幌南高等学校の校長をいたしておった者でございます。ずっと新教育が行われてから続けておりますが、一部中学校の、新制度の中学校の教員もやはり、大部分は高等、学校の教壇、校長として従事いたして、今回退職いたした者であります。
その某党員というのは、松阪鉄工所の労組の書記長をしておる脇地紀一郎君でありまして、私はさつそくその脇地君に会いましたところが、それは違う、私はあの当日、御承知のように民主主義団体はどの団体よりもいち早くこの大火で悩み苦しんでいる罹災者救護の第一線を切らなくてはならぬというので、松阪鉄工所が各民主主義諸団体に対して救援対策協議会というものを提唱しまして、まず最初に南高等学校の木村教官——木村教官は松阪市内
昭和二十四年七月二十五日 本籍 秋田県雄勝郡院内町下院内 現住所 秋田市公園前敬愛学園内 職業 秋田南高等学校助教諭 敬愛学園講師 高橋彌太郎 明治四十四年三月十一日生 秋田検察庁検事殿 以上の告訴状が出ておりまして、更にその内容が詳しく書いてあるのでありまするが、時間がありませんので省略いたします。
更にカラカンダ第九收容所におけるところの証言に関する問題と、それに関連するかどうかは知りませんが、秋田市下中城町高橋彌太郎という人によつてこの委員会にも一つの書面が送られ、その書画を見ますると、昭和十四年七二十五日、本籍秋田県雄勝郡院内町下院内、現住所秋田市公園前敬愛学院内、職業秋田南高等学校助教諭高橋彌太郎、この人の名前を以て秋田検察廳検事にも告訴状が出ておるのであります。