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11件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1973-07-11 第71回国会 衆議院 内閣委員会 第40号

昨年の十二月二十三日に同課長から、本件事故推定原因は、「ばんだい号」の操縦者函館NDB北方約五海里の地点上空NDB上空と誤認いたしまして、しかも一回の旋回降下だけでハイステーションを二千五百フィートで通過しようとしたために、その飛行経路が西方に広がり、この間に強い南西風によって同機が予想以上に北方に押し流されたことによるものと推定されるという、パイロットの操縦ミスを示唆する鑑定が出されましたが

佐々木英文

1967-05-12 第55回国会 参議院 決算委員会 第6号

岡三郎君 いま澤さんから隣でお話を聞いたような状態だと思うんですが、時間的にいって、またそれも無理からぬことがあるかと思うんですけれども、われわれ自体がやはり羽田の着陸の問題を考えたときに、南西風とか北東風、いわゆる海側から吹いてきたり反対側から強風が吹いてくるという場合に、いつでも海沿いのAラインとかCライン滑走路を使っておるということではこれはうまくないということは、これは過去かなり前から言

岡三郎

1966-05-12 第51回国会 参議院 運輸委員会 第23号

風の方向は、風力が十メートル以上の風は南西風が最も多く、したがって、運輸省の計画とは違って、滑走路南西から北東のものが必要であるとのことであります。そうすると、移転戸数は、その当初の千五百が、また千戸ぐらいふえるだろうということでございます。どうしてかと申しますと、その地方はちょうど八街や三里塚の集落地があるからでございます。それについては、運輸省ではまだ研究しておらないようでございます。  

深澤太朗

1962-04-25 第40回国会 衆議院 内閣委員会 第32号

飛鳥田委員 朝日新聞の「声」というところに、航空幕僚監部がその事故の調査をいたしました結果を投書しておられるのですが、今、長官の言われたような状態で、「ただ遺憾ながら損傷を受けた機からは脚がとび出ており、折柄南西風を受けて機体が傾き、海上から陸地の方向に逆転し、海岸より一五〇メートル付近に落ちて損害を生ずるに至りました。」こう書いてある。

飛鳥田一雄

1958-02-11 第28回国会 参議院 運輸委員会 第4号

で、和歌山では、夕刻前後と申しましたが、当時の風は南風あるいは南西風でございまして、和歌山の方に向いて海から吹いてくる風、風が非常に強かった、そのような状況の予報を出した。それから徳島の方は、夜半前と申しておりますが、事実あの付近の資料をあとから見ますと、当時観測したものと比較してみますと、なるほど夕刻前後は、強いときが、たしか八時前後は八メートルくらいで、それ以下の風でございます。

肥沼寛一

1955-05-16 第22回国会 参議院 運輸委員会 第6号

翌十二日は、南西風が強く、潜水夫十一組により、主として三等客室、二等客室、食堂、船橋等捜査し、船橋から中村船長死体を、三等客室内船尾側より五十三体の死体発見、収容した。九時潮流激しく作業は一時中止のやむなきに至った。十一時に飯野サルベージ作業船到着により、水中電気の使用が可能となったので、この装置を持つ五組と午前の十一組の潜水夫とともに、三等室内捜査を行なった。

木島虎藏

1954-10-19 第19回国会 衆議院 運輸委員会 第43号

十九時一分、防波堤燈台から百二十三海里、後で聞けば三百度、〇・八五海里の地点まで行つて南西風に船を立てて投錨した。初め右舷の錨を六節、次いで左舷の錨を九節入れたが、船の立つのが、いつもよりもおそいように感じた。このときエンジンを使つていたようであつた。投錨後間もなく風速三十メートルとなり、大体西南を中心に左右に二点くらいゆれた。

山崎岩男

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