1992-12-08 第125回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号
○玉城委員 今度の場合、悪意に解釈すれば、南西航空機が上昇する、そこに米軍機が進路妨害みたいに来たということも考えられるわけです。ですから、そこら辺をこれからいろいろ調査もされるのでしょうけれども、そういう点があるだけに、今後そういうことを二度とさせない、お互いにしないようにしようということが非常に大事だと思うのです。
○玉城委員 今度の場合、悪意に解釈すれば、南西航空機が上昇する、そこに米軍機が進路妨害みたいに来たということも考えられるわけです。ですから、そこら辺をこれからいろいろ調査もされるのでしょうけれども、そういう点があるだけに、今後そういうことを二度とさせない、お互いにしないようにしようということが非常に大事だと思うのです。
○林説明員 先生の御質問につきまして現在調査に入った段階でございますので、いろいろとこれから南西航空機のパイロット、それから米軍の方では米軍サイドの戦闘機のパイロット等の細かい調査をしませんと、この段階でにわかに断定することは非常に難しい段階でございます。
ですから大臣、私は今回のニアミスのあれを運輸省からもらいまして、これは、南西航空機というのは那覇空港を離陸して十分後にそういうニアミス状況に入った。そして、これは岡山行きなんです、那覇発岡山行き。ですから決してコースを間違っていたとは思えないのです、南西航空機は。そこに十分後に四機のいわゆるF15、あるいは18かわかりませんけれどもばっと来て、そこで危険な状況に入ったわけですからね。
報告によります接近時までの状況といたしましては、南西航空機が那覇空港から北西に向かって約五十五キロ地点まで上昇しているときに、高度は四千二百メートルを通過していたわけでございますが、進路の右方向約九キロないし十二・六キロの下方に四機の米軍機と思われる戦闘機を発見した。
なお、昭和五十七年に入ってから、二月の羽田沖日本航空機墜落事故、八月の石垣空港南西航空機オーバーラン炎上事故等が発生しております。 道路交通事故は、昭和四十六年以降自動車保有台数の増加にもかかわらず、交通安全施設の整備に対応して着実な減少を続けてまいりましたが、昭和五十年代に入ると交通事故減少率は低下し、最近は増加傾向が顕著にあらわれてきております。