1965-04-23 第48回国会 衆議院 外務委員会 第17号
そこで、当時の安南王国、カンボジア王国、それに新しく形成されたラオス王国という三国をフランス軍の武装解除と同時に独立させるという方針を立てまして、それを実行に移しました。それが終戦の年の三月九日、十日の事件でございまして、当時、安南王国はバオダイ国王のもとに、またカンボジア王国はシアヌーク国王——いまの元首でございます。
そこで、当時の安南王国、カンボジア王国、それに新しく形成されたラオス王国という三国をフランス軍の武装解除と同時に独立させるという方針を立てまして、それを実行に移しました。それが終戦の年の三月九日、十日の事件でございまして、当時、安南王国はバオダイ国王のもとに、またカンボジア王国はシアヌーク国王——いまの元首でございます。
○坂本参考人 ベトナムの南北ということがいま問題になってきておりますが、フランスがここを統治していたときは、御承知のように、一番南のほうはコーチシナとして、直轄植民地として統治し、中部のユエのあたりは、御承知のように安南王国をつくってこれを保護するという立場、さらに、ハノイのあります北ベトナムのほうはトンキンとして、コーチシナと安南王国との中間ぐらいな程度で統治していた。