2011-11-29 第179回国会 参議院 外交防衛委員会 第4号
これは、沖縄の先生方お二人いますけれども、沖縄の方々にもお世話になりましたが、南洋興発の社長であって、サイパンの特に開発を戦前して、一大発展を遂げたところの社長で、会津人でありますけれども、戦前に建った銅像がいまだにサイパンには残されていて、戦争直後もアメリカ軍も壊さなかった、島民も壊さなかった、その島にとっては、サイパンにとっては大変な恩人だということで、いまだに全身の銅像が残っています。
これは、沖縄の先生方お二人いますけれども、沖縄の方々にもお世話になりましたが、南洋興発の社長であって、サイパンの特に開発を戦前して、一大発展を遂げたところの社長で、会津人でありますけれども、戦前に建った銅像がいまだにサイパンには残されていて、戦争直後もアメリカ軍も壊さなかった、島民も壊さなかった、その島にとっては、サイパンにとっては大変な恩人だということで、いまだに全身の銅像が残っています。
ですから、政府としては、小さい南洋興発という親会社だそうですけれども、三千万やそこらなら何とかなるでしょうから、そういうことについてのオプションの範囲を広げて、人命をやはり尊重していくというように、外務省としては相手国に対する内政干渉にわたらない範囲で最大限に努力すべきだというように思うのですね。その点はいかがでしょう。
つまり私としましては開発はかつての満鉄あるいは南洋興発もありましたが、株式会社で、諸外国でも株式会社の系統でいたしておりますから、そういう形態としましては現在がよろしい。しかしその運用につきましては、ただいま大臣もおっしゃいましたようにいろいろ民間と競合するようなものは離していくというふうなことは十分考えていかなければならぬ、こう考えております。
○今澄委員 朝鮮との話はその程度にして、次は今問題になつている日本漁業が、この日韓会談では李承晩ライン問題、それから実力行使としては東支那海の中共の拿捕の問題等で、日本の漁船並びに海上漁撈が今なかなか困難な情勢にあることは、外務大臣も御承知の通りであつて、この際私は旧南洋群島に昔日本が漁場を持つていたのであるが、これらのかつて南洋拓殖、あるいは南洋興発その他旧南洋の日本の漁業権を持つておりましたいろいろの
そこでもう最近というお話でありますが、われわれは一昨年からいろいろ資料を集めて、この方面に対する旧南洋興発等の活動が、また形はかわつてもできるようにと思いまして、アメリカ側に話しておりますが、これが原爆の実験場であつたり、またほかのいろいろな軍事上の必要があるようでありまして、なかなか解決が遅れております。最近も一、二度アメリカ側にも話しておきました。
東北興業株式会社は、御承知のごとく東洋拓殖、あるいは南洋興発、あるいは満鉄、あるいは北海道拓殖、その他戦争前のわが国の多くの国策会社と同様に、政府が東北地方における殖産興業の勃興を念願されて、当時における国会の要望もいれられ、政府みずから内閣には内閣東北局なる指導監督の役所まで置かれて、政府も相当の持株を持たれてでき上つたこの東北興業株式会社であります。
沖繩県人を中心に、南洋興発会社の社長の出身地である福島県民の諸君あるいは東京府下からも数万行つておりましたが、それは今日どういうふうになつておりますか。向うに在留を許されておるのか、あるいは全部引揚げることになつて引揚げは済んでおるのか、どういうことになつておりますか。
そへもつて来て、南方で生き残つた連中——内南洋、すなわちサイパン、テニヤン、ロタ、ポナペ、ヤルート、トラック、パラオ、そういうところに伊豆七島の住民が参りまして、出かせぎでもつて南洋興発会社の小作人として使われておつたのでありますが、終戰後、あるいは終戰前にこれらの島民がみんな島へ引揚げて参りまして、人口はほとんど倍になつておるような、状態で、耕作地はない、住む家はない、そこへ持つて来て人口は倍加しておるのであります
この人がそう言つておりますし、またその当時蘭印で事業を営んでおりました南洋興発会社、これは先般つぶれましたが、この社長のところへも手紙が参りまして同じことを言つておる。日本の国民は今平和移民として、ことに農業開拓の移民といたしまして、非常に南方諸国から歓迎をされておるということは争われない事実であります。南米からもたくさんの注文が来ておる。