2021-05-27 第204回国会 衆議院 科学技術・イノベーション推進特別委員会 第3号
日本初の南極探検家として一九一〇年に白瀬中尉は南極観測のルーツである学術探検を行い、長い航路の末に南極の地に足を踏み入れて、大和雪原と命名した地があるんですけれども、その地点に日章旗を掲げました。
日本初の南極探検家として一九一〇年に白瀬中尉は南極観測のルーツである学術探検を行い、長い航路の末に南極の地に足を踏み入れて、大和雪原と命名した地があるんですけれども、その地点に日章旗を掲げました。
○井上国務大臣 今から百年以上前に白瀬矗中尉率いる南極探検隊によって実施された探検は、現在まで六十年以上にわたる日本の南極観測のルーツであり、深く敬意を表したいと思います。
私たちのアプローチは、例えて言うと、南極探検隊の隊長さんのように、まず南極点に立つんだと、その上で何が足りないかということをやっていく、そういうアプローチでございまして、ただ、委員がおっしゃるところ、道筋をできるだけ早くお見せして、そしてその実効性を確保していきたいと思いますので、建設の関係について不都合が起こらないように。 私、今、行政刷新会議で見ていると、委員、台帳もないんですよ。
○黒川参考人 ごく最近のでは、去年の夏だと思いますが、南極探検について持続する話についても報告書を出しております。 南極探検は、先ほど言いましたように、昭和三十年から始まって、世界でオゾンホールを見つけたのが昭和基地だということは大変よく知られておるわけでありますけれども、例えば南極の観測は続けようという提言を出しております。
例えば、私は、まだこの総合学習が入っていなかった段階で、私のクラスの子供のお父さんが南極探検隊に行っていた方がいます。
帰還という言葉は、これは凱旋にも匹敵するような言葉なんでありまして、戦地から兵士が帰還する、それから南極探検から探検隊が帰還してくる、宇宙旅行に行って帰ってくる、帰還する。華々しい凱旋でありまして、みんなが日の丸を振って出迎える、そういう場合に用いる言葉が帰還なんでありまして、容疑者、犯罪者が帰還するなんという日本語は私は聞いたことがないんです。
災害であるとかあるいは南極探検に行くのだって、どんな細かいことだって今まで全部一々法律を改正して一つ一つきっちりやられてきておるわけです。私は自衛隊というのは本来専守防衛に徹すべきだと思っているから、だからそれ以外の任務をやるときには必ず法律でいろいろやらなくちゃならないというふうに思いますよ。
沿岸を船で通っただけなんですが、そうしますとノルウェーはその自分たちが発見した地域、海岸から極点までの細長い三角形を領土と主張し、例えばイギリスも古くから南極探検をやっておりましたから、そういう形で領土権を主張してきたわけですが、それを凍結してしまって、この条約によって領土というものは認めない、結果的にそういうことになっている。
したがって、「海外に出動」という言葉を使ってあるのはそういうことだと思っておりまして、自衛隊がそうでない目的のために、例えば過去におきましても、南極探検に行ったこともございます。それから湾岸戦争の後、掃海のために行ったこともございますが、これらは武力行使のために明らかに行ったのではないということがはっきりしておりますから、それは恐らく参議院決議に抵触するものではない。
確かに南極探検隊がそれを発見したことはすばらしいことだと思います。しかし、その破壊の問題になっているフロンガスは日本が一番出しているという、そういうところに問題があるんじゃありませんか。
だから南極探検隊あたりが、もう氷のちょっと南極あたりの解けぐあい等見てもその温室効果というのはかなり起こっておる、温度が上がってきておると。そういうことからいったら、これも一つは大きい影響力がある。
それからもう一つは南極探検、これも行っております。だから、第三に持ってきて、国連の平和維持活動への参加とうたえばいいわけでございまして、それだけのことなんでございます。したがいまして、国際社会において、日本は平和憲法に藉口して、そのただいまの国際責任を果たしていないという声があるわけでございますから、これは小さなことではございますけれども、やはり日本としてはやるべきことである。
御存じのとおりに財政が非常に困難なときでありますし、宮之原さんは専門家でおられますから御存じのとおり、小学校の児童が減るというようなことで、地方公共団体からの学校の整備が今度は減る状況になっておりますし、そういう点で相当公立小学校の整備助成費が減っており、あるいは南極探検船も去年でき上がった、八十一億はもう済んだと、こういういろんな原因があるわけです。
そういうことで新増設がダウンしたと、こういうこともありますし、また御承知のように、南極探検の「しらせ」が昨年八十一億であったのができ上がってことしは不用になった、こういう問題等も含めて減っておりますけれども、また財政困難なところでありますが、細かいことも必要であれば後でお答えさせますけれども、新たに新規助成をするというところも出しておるわけでございまして、窮屈な中でもまあ最低限というんでしょうか、まず
○村田政府委員 平和条約にこの規定が置かれましたゆえんは、わが国の場合には、先生御存じのとおり明治の末期に白瀬中尉の南極探検等もございまして、当時特にわが国としては先占の意思を明確に表示するというふうなことはしなかったわけでございますけれども、しかしながら少なくとも何らかの請求権を留保しているのではないかというふうに国際的に考えられる立場におったわけでございます。
南極探検にも行きました「宗谷」で、これは昭和十三年にできた船でございますのでもう三十八年というのですが、南極探検にいきますときにかなり大改造してありますのでいままで使用に耐えておるわけですが、これが一番大きくて三千八百トン。それからその次には、マリアナ海難が頻発いたしましたときに、その対策としてつくりました二千トン級の船が「いず」「みうら」と申しまして、これが二隻ございます。
派遣という言葉があると思いますが、南極探検に行っているのは派遣だと思います。だから派兵は絶対にいけない。というのは、派兵というのは武力を持っておる。形の上において武力は持っていない、そして何らか救出の方法はないものかということで、これは一つの研究課題じゃないだろうか。これはわれわれ政府も考えますけれども、各党としてもお考えいただきたいというのが私のいまの心境なのでございます。
南極探検隊の隊長をやったというのが事業団の理事。そうして青森へ行って地方紙にわざわざ寄稿して、この原子力の開発に反対するのは火をおそれた野獣のごときものだと、こういうことなんです。私は実に驚いた。結局、いきさつを見ればそこからきているのです。結局独断、非常に非科学的な態度で科学の運用をしてきていることがこの結果なんです。
そこで、皆さんにいろいろお世話になりまして御迷惑かけております東京大学の農学部でなぜこの臨時職員の問題が大きくクローズアップされてきたかということでございますが、このことは一口で言いますれば、農学部に臨時職員が多いのでございますけれども、結局は農学という学問が、先ほど申し上げたとおり、生活に密着した学問でありますけれども、宇宙開発とか、あるいは南極探検というような非常にはなばなしいといいますか、いわゆる
南極探検をする人の危険意識と、長い間政治災害に悩まされてきたむつ市民の危険意識とは違うのですね、むつ市民は探検隊じゃありませんから。それをまるで危険は絶対ないのだというふうに探検隊長的意識をもって臨むということは、私は決して地元を納得させるゆえんじゃないと思う。それが一つ。
南極探検隊の雪上車を設計した電気通信大学の芳野赳夫先生が言っておられます。これは一つは、あの道路の計画というものは今日の日本の道路法に違反している。たとえば全幅が二十四メートルですね、中央の分離帯が三メートル、両側に幅三・五メートルのレーンが二つずつ、二車線なんです。そしてその外側に二・五メートルの側線がついている。