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8件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1982-03-23 第96回国会 参議院 農林水産委員会 第3号

村沢牧君 この山口村では村を挙げて駆除対策に努めておるわけでありますが、隣村のたとえば南木曾町にも松枯れの徴候があらわれておると言いますけれども、林野庁はこの範囲がさらに拡大をすると見ているのかどうか、山林県でありますので、拡大をすると大変な被害になるわけでありますけれども、この辺についてはどういうふうな判断を持っていますか。

村沢牧

1978-10-17 第85回国会 参議院 農林水産委員会 第2号

これは、その流域ごと荒廃の現況とか、あるいは保全対象状況等を把握いたしまして、あわせて経費の試算を行っているわけでございますが、現段階におきましては、これは南木曾プランを含めた形での全体調査はまだいたしておりません。  なお、この全体調査と申しますのは、あくまでもこの治山五ヵ年計画を策定するための基礎資料という形でとっておりますので、御了承賜りたいと思います。

秋山智英

1978-10-17 第85回国会 参議院 農林水産委員会 第2号

村沢牧君 この木曾谷の中で特にひどいのは営林署の統廃合の対象になっている妻籠、つまり南木曾地域であります。私は、ことしになってから二回南木曾荒廃地現状調査しておるわけですけれども、まるで三十六年災害伊勢湾台風の直後のような現状をいまもって呈しておるのですよ。下流の住民は、国有林に起因をする災害によって今日まで多くの人命や財産を失ってきた。

村沢牧

1976-04-07 第77回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第2号

これは私の選挙区の大変小さいことのようですが、そこの住民にとってみれば大変大問題で、長野県の木曾南木曾町、過去十年間に五回の激甚災害、大変で、われわれもあそこは何でこう災害が多いか、こういうところであります。そこの三千五百名の住民が全員署名して、営林局のところへこういうお願いに行ったわけです。

小沢貞孝

1973-06-21 第71回国会 参議院 社会労働委員会 第13号

このことについては、当南木曾民有林でも初めてのことであり、労務係とともに松本労働基準監督署出頭照会指示を求めましたが、その時点で何ら指示もなく解決されませんでした。その後、医師のチェーンソー使用不可能の指示もあり、伐木造材――出来高賃金月収約十五万くらいの仕事をやめ、国有林下請造林作業に転職しました。

芝田鶴一

1966-10-06 第52回国会 参議院 建設委員会 閉会後第2号

この間も南木曾へ行ってみましても、奥地のいいところをみんな切ってしまって、これから植林をしてもすぐは育たない。その砂防も、これは建設省でやってよいであろうと思うところの砂防を農林省のほうでやって、そうして奥地の植え付けのほうはどうもおくれているというようなところもあるようですから、ひとつ御研究を願いまして、これも根本問題として国土保全の見地から十分ひとつ御研究をわずらわしたいと思います。

小山邦太郎

1966-08-11 第52回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第4号

六月十九日から七月二十二日までの被害の概要でありますが、六月十九日から七月二十二日の間に発生しました建設省所管公共土木施設等被害は、現在までのところ四百十五億円で、その内訳は、六月十九日から二十四日にかけての南九州及び南木曾地区の十八億円、台風第四号による関東地区等の二百十一億円、六月三十日から七月二日にかけて西日本の三十三億円、七月七日から十三日にかけて南九州及び北陸地方の三十七億円、七月十五日

橋本登美三郎

1966-07-06 第51回国会 参議院 災害対策特別委員会 閉会後第1号

まず、六月二十四日の夕方から夜半にかけまして降りました、長野西筑摩南木曾町内の集中豪雨につきまして、被害状況を申し上げます。  これは県の南西部にございます通称木曾谷一帯にわたりまして、六月二十四日の午後四時ごろから、雷雨を伴います集中豪雨がございました。降雨量は、南木曾町の観測所観測によりますと、百七十五ミリということでございました。約四時間で百七十五ミリの雨が降ったわけでございます。

後藤信義

1966-07-06 第51回国会 参議院 災害対策特別委員会 閉会後第1号

それから長野南木曾町の集中豪雨状況でございますが、人家の被害といたしましては、全壊が二十三、流失が十八、半壊が二十三、床上浸水が二十七、床下浸水が六十三という状況でございまして、この南木曾町につきましても災害救助法を適用いたしますとともに、飲料水の供給、被服、寝具等生活必需品の給与、医療等救助の実施に当たりますとともに、なおこの地帯では、応急仮設住宅十二戸を建設をいたしまして、これは六月二十八日

飯原久弥

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